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【豊場】尾張国溝口城 令和4年(2022) 初春
2022年の2月上旬、愛知県西春日井郡豊山町にある溝口城跡を訪れました。
築城年代等ははっきりしていませんが、天正初期(1573年頃)に溝口氏の一族である溝口富之助が築城したとされているようです。
遺構はなく、城跡碑等もありませんが、濃尾平野に築かれた平城だったと思われます。
城跡の訪問後、近くにある八所神社と溝口氏の菩提寺である常安寺にも寄っています。
城跡は30秒くらいでほとんど周囲の散策となっていますが、八所神社は伊藤萬蔵氏寄贈の石碑等があり特におすすめです。
今回は新型ウィルス流行中の影響もあり、自宅の近くの城跡を自転車で巡っています。
お城→mylist/37297571
城巡りシリーズ第一弾 Caerphilly Castle in Wales,the U.K その七
どんどんいくよー!その八sm18135211
城巡りシリーズ第一弾 Caerphilly Castle in Wales,the U.K その六
バイオ!バイオ!その七sm18135190
【金吾】美濃国松尾山城 令和4年(2022) 晩秋
2022年の10月中旬、岐阜県不破郡関ヶ原町にある松尾山城を訪れました。
応永年間(1394~1428)に富島氏が築城したと伝わり、戦国時代には織田信長や浅井長政が領し、
天正元年(1773)には信長が不破光治を警護に当たらせました。
慶長5(1600)年の関ヶ原の合戦では、大垣城主・伊藤盛正が入り、西軍総大将の毛利輝元を迎える為に整備したようですが、小早川秀秋が伊藤盛正を追い出し陣を構えました。
標高293mの山城ですが、比高は190m程で良く整備されているのでスニーカーでの登山でも大丈夫です。
関ヶ原駅から松尾山登山口まで徒歩約30分。登山口から主郭まで徒歩約30分程です。
松尾山登山口(5:38) → 山之神神社(8:35) → 主郭跡(11:53)
おまけのビデオパート
城下の風景(18:48) → 山之神神社の先の土橋と堀(19:25) → 主郭からの眺め(20:13) → 主郭の桝形虎口(23:00) → 主郭跡(23:57)
美濃の蝮さんから「小早川の松尾山」のリクエスト頂いていたのですが、リクエストもらってから半年くらい経ってしまってすいません。
個人的に好きな小早川秀秋公の動画を紹介 → https://www.nicovideo.jp/watch/sm575994
お城→mylist/37297571
【城の城】陸奥国陣が峯城 令和3年(2021) 晩秋
2021年の10月中旬、福島県河沼郡会津坂下町にある陣が峯城跡を訪れました。
築城年代や城主等については不明なようですが、発掘調査によって12世紀の中国の陶磁器等が出土されており、12世紀の城館であったと推定されているようです。地元では越後の城長茂の城との伝承があり、「城(じょう)の城(しろ)」と呼ばれているそうです。
12世紀の城館遺構が残る遺跡としては全国でも珍しく貴重であるとして、2007年(平成19年)7月26日、陣が峯城跡(じんがみねじょうあと)として国の史跡に指定されました。
現在でも、二重の堀と土塁が良好な状態で残っており、主殿跡は畑に、馬場跡には公民館が建っていましたが、国史跡の指定を受けて引っ越したようで、今は使われていないようです。
訪問時、畑で作業している方がおり、入口にパンフレットが置いてあることや、出土品が会津坂下町埋蔵文化財センターに展示されていること等を教えて頂きました。
動画の最初は城跡、中盤は会津坂下町埋蔵文化財センター、終盤は恵隆寺と旧五十嵐住宅を訪問しています。
12世紀にはあまり思い入れがないのですが、それでも城の遺構と出土品の内容に大変感動しました。歴史好きの方にはぜひともお勧めしたい会津坂下町でした。
近くにある同じく国史跡の会津新宮城 → sm31901142
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首里城火災の不備を責任転嫁 ボギー大佐の言いたい放題 2020年10月28日 21時頃 放送分
2020年10月28日(水)21時放送の #ボギーチャンネル です。
本日の放送は、ある #フェイク #ツイート 、 #首里城火災 の不備を責任転嫁する #沖縄県政 についてです。詳細は動画をご覧ください。MC #ボギーてどこん
ボギ-チャンネル公認Twitterです。
https://twitter.com/ChannelBogey?lang=ja
沖縄の真実を伝えるボギーチャンネルは毎日21時からツイキャス放送中。
http://twitcasting.tv/c:bogey_channel
茨木市のイベント 「茨木・知っトコ・ラリー」 に行ってきた 7/7
2012年10月13・14日に行われた茨木市のイベント「茨木・知っトコ・ラリー」に参加してきました。配布されたマップを見ながら、豊臣秀吉などの武将ゆかりの地6か所を回る(約2.5km)クイズラリーです。(毎年恒例 「黒井の清水大茶会」 も同時開催),
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全リスト→mylist/34777212 前→sm19435598 ダンス企画→mylist/34782192
城巡りシリーズ第一弾 Caerphilly Castle in Wales,the U.K その四
グダグダと解説してますその五sm18135062
『ぎんのパズル』byザッキーおにいさん
保育園で大人気♪宇都宮のうたのおにいさん“ザッキーおにいさん”作詞作曲*1月のうた『ぎんのパズル』
頼もしい仲間が増えた風来人〈風来のシレン2 鬼襲来!シレン城!〉
どうもライズです!
今回は城作りを手伝ってくれる仲間と冒険に行ってくれる仲間が増えます。
連れて行くのは次回になるけど楽しいよね。
それにしても鍛冶屋が頑張ってくれるから鍛えるのが速い!
でも今後何を強化するか考えないとなぁ。
ツイッターやってます! https://twitter.com/RIZEmaicra
アリ用垢 https://twitter.com/RIZEantKINGDOM
いいねしていただくと今回恥ずかしい思いをしたことを語ります。
【環濠都市】和泉国堺 令和5年(2023) 初夏
2023年の5月初旬、大阪府堺市にある堺環濠都市跡を訪れました。
中世に貿易港として発展し、栄華を極め、
室町時代には日本の重要な港である三津七湊の一つに数えられました。
戦国時代には環濠都市となり、
会合衆と呼ばれる有力商人たちにより自治的な都市運営が行われました。
織田信長が武力によって服属を要求し、堺は信長の傘下となり、
信長の死後は豊臣秀吉の傘下となりました。
大坂の陣の「堺焼き討ち」で全焼し、
江戸時代になって復興され、現在見られる町割りは戦国時代ではなく、江戸時代の物です。
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【金ヶ崎崩れ】越前国金ヶ崎城 令和4年(2022) 晩春
2022年の4月中旬、福井県敦賀市にある金ヶ崎城跡を訪れました。
治承・寿永の乱(源平合戦)の時、平通盛が木曾義仲との戦いのためにここに城を築いたのが始まりと伝えられます。
延元元年(1336)、足利尊氏の入京により恒良親王、尊良親王を奉じて北陸落ちした新田義貞が入城も、翌年の3月3日、足利方が城内に攻め込み、兵糧攻めによる飢餓と疲労で城兵は次々と討ち取られ、尊良親王(たかよししんのう)、新田義顕(にったよしあき・義貞嫡男)、城兵300名は城に火を放ち自害、恒良親王(つねよししんのう)は捕縛され、3月6日、落城しました。
戦国時代には、朝倉氏一族の朝倉景恒(あさくらかげつね)が城主でしたが、織田信長の越前侵攻に開城しました。その直後、近江の浅井長政が朝倉に助力することになり、織田信長は近江朽木を通り撤退しました。
敦賀湾に突き出した海抜86mの小高い丘(金ヶ崎山)に築かれた山城で、月見御殿(本丸)跡、木戸跡、曲輪、堀切などが残り、1934年には国の史跡に指定されています。
お城→mylist/37297571
【名のために】美濃国垂井城 令和4年(2022) 仲春
2022年の3月下旬、岐阜県不破郡垂井町の垂井城跡を訪れました。
築城年代等ははっきりしていませんが、今須領主(鎌倉氏族)長江氏の一族の長屋景頼が、垂井の領主になってから築かれたとされています。
天文年間に長屋景興が相羽城に居を移したが、1547年(天文16年)に斎藤道三の侵攻により相羽城で景興が戦死し、長屋氏は没落。この時に垂井城も廃城もしくは機能が大きく損われたとされているようです。
その後、1600年(慶長5年)に平塚為広が垂井領1万2千石で入封すると、垂井城を居城として整備拡張したと思われるが、同年の関ヶ原の戦いで為広が討死したため廃城となりました。
遺構は分かりませんが、専精寺境内が城跡と推定されており、城跡碑と城主・平塚為広公の句碑が建っています。
動画の後半では、足利尊氏に所縁のある長屋氏屋敷跡も訪問しています。
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茨木市のイベント 「茨木・知っトコ・ラリー」 に行ってきた 3/7
2012年10月13・14日に行われた茨木市のイベント「茨木・知っトコ・ラリー」に参加してきました。配布されたマップを見ながら、豊臣秀吉などの武将ゆかりの地6か所を回る(約2.5km)クイズラリーです。(毎年恒例 「黒井の清水大茶会」 も同時開催),
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全リスト→mylist/34777212 前→sm19434814 次→sm19435239 ダンス企画→mylist/34782192
【堀水抜】豊前国小倉城 平成30年(2018) 仲春
2018年の3月中旬。福岡県北九州市の小倉城を訪れました。
九州への上陸地点であり、陸海交通の要衝である小倉城は、
鎌倉時代に築城されたと伝わりますが、資料に登場するのは、
永禄年間(1558-1570)に毛利氏が小倉津の平城に南条勘兵衛を在城させたことが
宗像大社の記録に残っています。
後に高橋鑑種(あきたね)が入城し、豊臣秀吉の九州征伐後は、毛利勝信が入城しました。
関ヶ原後は細川忠興が39万9千石で入り、細川氏の肥後転封後は、小笠原氏が
15万石で入城し、幕末までの230年間、小笠原氏の居城となりましたが、
慶応2年(1866)長州藩との戦いで自焼しました。
現在の天守は1959年に再建された復興天守です。
今回の訪城時、堀の水を抜いており、貴重な状態を見ることができたので動画にしてみました。
同行者がおり、散策範囲は狭いので詳しく見たい方はちょっと古いですが、以前投稿した小倉城の動画を参照して頂ければと思います。
2013年の小倉城 → sm23369646
お城→mylist/37297571
【粟野大膳】陸奥国北目城 令和3年(2021) 仲冬
2021年の12月下旬、宮城県仙台市にある北目城跡を訪れました。
築城時期は不明ですが、江戸時代に書かれた「仙台領古城書上」などによると天正年間(16世紀後半)までは粟野重国の居城だったようですが、伊達政宗に敗れ、以後は伊達政宗の城として、関ヶ原の合戦に際し、上杉勢と対峙する拠点とされていたようです。
城は東西約370m、南北約280mの平城で、平成4~5年の発掘調査によって、近世初期の複雑な構造の堀跡(幅10~14m、深さ2.5~3m)が発見され、障子堀もあったようです。
現在、周囲は開発され確認できる遺構はほとんど残っていませんが、近くには7世紀後半に作られた官衙(昔の役所)の郡山遺跡もあり、そちらも紹介しており、郡山遺跡の方が内容が多いかもしれません・・・
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【功嶽】尾張国如意城 令和4年(2022) 初春
2022年の2月上旬、愛知県名古屋市にある如意城(にょいじょう)跡を訪れました。
築城年代等はっきりしていないようですが、明徳年間(1390〜1394)頃に南朝方の越中・木舟城の石黒重行が敗れて当地に来て、長谷川氏と名乗り、斯波氏に仕えて館を構えたのが城の始まりのようです。
戦国時代には子孫の石黒重成が天正12(1584)年の小牧・長久手の戦いで織田信雄・徳川家康連合軍に加わり、小牧より先陣を率いて、旗を藤山に建て、武功をあげたと伝わります。
城跡は瑞應寺の北東一帯にあったされ、その辺りに石黒氏が後に名乗った姓の豪邸があったので、城跡がそのまま子孫の方のお宅になっているのかもしれません。
今回は新型ウィルス流行中の影響もあり、自宅の近くの城跡を自転車で巡っています。
お城→mylist/37297571
なんなんじゃ!忍者!「朧村正」へっぽこ実況プレイ パート2
「朧村正」実況プレイ動画です。こんにちは、暑さに益々弱くなっている、もすもすもっさんです。今回は、きれいな景色がたくさん出てきて、お城もガンガン登っていきますよ。方向音痴なのか迷いまくりますが、どうかよろしくお願いします。また、コメント等もよかったらお願いします。 パート1 sm26976817 パート3 sm27026674
茨木市のイベント 「茨木・知っトコ・ラリー」 に行ってきた 6/7
2012年10月13・14日に行われた茨木市のイベント「茨木・知っトコ・ラリー」に参加してきました。配布されたマップを見ながら、豊臣秀吉などの武将ゆかりの地6か所を回る(約2.5km)クイズラリーです。(毎年恒例 「黒井の清水大茶会」 も同時開催),
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全リスト→mylist/34777212 前→sm19435411 次→sm19435737 ダンス企画→mylist/34782192
城巡りシリーズ第一弾 Caerphilly Castle in Wales,the U.K その九
お堀ぐるぐるその十sm18135372
城巡りシリーズ第一弾 Caerphilly Castle in Wales,the U.K その八
中庭の回かな?その九sm18135333
【釘貫き】尾張国奥田城 令和5年(2023) 晩冬
2023年の1月上旬、愛知県稲沢市にある奥田城址を訪れました。
応永年間(1394~1428)頃に斯波氏(奥田氏)によって築城されたと伝わります。
戦国時代には、織田信長の一族である織田(飯尾)定宗が城主でしたが、城主・飯尾定宗は桶狭間の合戦で鷲津砦を守備し、今川軍の攻撃を受け砦は落城。討死にしました。
定宗の死後は、子の重宗が継いだようですが、加賀国に移った後、廃城となったようです。
現在、城の遺構はなく、堀畑神社辺りが城の跡地と伝わりますが、大門町や堀畑、馬場町等の地名に城の名残を感じることができます。
また、城主の斯波(奥田)氏種の子孫が堀(奥田)直政と伝わり、越後村上藩堀氏に所縁のある地でもあるようです。
親戚の野瀬氏の初代・右近である野瀬氏吉はここ奥田村から奉公に出たと野瀬家の家伝に伝わっているので、親戚に所縁のある所を訪れることができました。
お城→mylist/37297571
【権六】尾張国下社城 令和4年(2022) 初秋
2022年の8月中旬、愛知県名古屋市の下社城址を訪れました。
築城年代等は不明ですが、織田信長の重臣だった柴田勝家の先祖が築城した城と伝わり、柴田勝家もこの城で誕生したと伝わります。
台地の西端に位置した城で、城から北、西、南の三方を一望することができます。西側には植田川が流れているので、西からの敵に非常に有効な城と感じました。東側はおそらく台地でつながっているようですが、南東方面も見ることが可能なので、桶狭間の戦いの際にも有効に機能した城の一つだったのではないかと思います(敵方の監視という役目で)。
お城→mylist/37297571
茨木市のイベント 「茨木・知っトコ・ラリー」 に行ってきた 5/7
2012年10月13・14日に行われた茨木市のイベント「茨木・知っトコ・ラリー」に参加してきました。配布されたマップを見ながら、豊臣秀吉などの武将ゆかりの地6か所を回る(約2.5km)クイズラリーです。(毎年恒例 「黒井の清水大茶会」 も同時開催),
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全リスト→mylist/34777212 前→sm19435239 次→sm19435598 ダンス企画→mylist/34782192