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ロクリアン・バッハ/三重奏曲「涼しいアリア」-クラリネット、チェロ、ピアノ
バッハの曲は父なる神への絶対的な信仰とそれに相応しい完璧なまでの作曲技術に支えられているがゆえに、聴くものに深い安心感を与えてくれます。
でも、専門的な耳で聴いていると、彼の秩序への熱愛と謹厳実直な精神の有り方が実感されご本人の作曲時の緊張状態を追体験させられる羽目にもなる。
どの曲も暖かい。だが少々熱めで、日傘がほしく成る。重力に則り磐石の構えだ。だが、少々固く、座布団がほしくなる。どの音も勤勉だ。でも小さじ一杯の寛ぎ感がほしい。
上から差し込む有り難い神の慈愛のまなざし、でもそれは母の優しさとは少し違う。
とはいえ、与えられたG線上のアリアの原曲は、とりわけ素晴らしく、高尚で有りながらCMや電話待ちでも頻繁に耳にするほど一般から愛好されている。
だから、私はあくまでも原曲に添いきりたい。
でも、原曲はとにかくトニカを絶対の機軸としており、作曲時のバッハの精神はやはり立ちっぱなしである。相変わらず神の秩序から外れた音に目〔耳〕もくれないバッハだが、これだけ人口に膾炙(かいしゃ)した楽曲だからこそ、曲全体にちょっと怠慢な感触を与えたら曲はどうなり、人々の反応はどうなるか、大変興味深いものが有ります。根っからの怠慢嫌いはいつの時代どこの社会でも少数派なのでは無いでしょうか(われわれ日本人だって、そう、もしかしたら大バッハだって本音の本音は・・・)?
そこで私は長調の原曲をそのまま多少傾ける、というか横たえる事にしたのです。
その結果、多少涼やかで、多少重力が軽減され、畳部屋、あるいはもしかしたら雲の上に寝転がる寛ぎ感すら得られるようになったかどうか、お試しいただければ幸いです。
Locrian・BACH/"Air on the A String"-by Cello and Piano ,ロクリアン正岡/[A線上のアリア」-チェロとピアノ
バッハの曲は父なる神への絶対的な信仰とそれに相応しい完璧なまでの作曲技術に支えられているがゆえに、聴くものに深い安心感を与えてくれます。
でも、専門的な耳で聴いていると、彼の秩序への熱愛と謹厳実直な精神の有り方が実感されご本人の作曲時の緊張状態を追体験させられる羽目にもなる。
どの曲も暖かい。だが少々熱めで、日傘がほしく成る。重力に則り磐石の構えだ。だが、少々固く、座布団がほしくなる。どの音も勤勉だ。でも小さじ一杯の寛ぎ感がほしい。
上から差し込む有り難い神の慈愛のまなざし、でもそれは母の優しさとは少し違う。
とはいえ、与えられたG線上のアリアの原曲は、とりわけ素晴らしく、高尚で有りながらCMや電話待ちでも頻繁に耳にするほど一般から愛好されている。
だから、私はあくまでも原曲に添いきりたい。
でも、原曲はとにかくトニカを絶対の機軸としており、作曲時のバッハの精神はやはり立ちっぱなしである。相変わらず神の秩序から外れた音に目〔耳〕もくれないバッハだが、これだけ人口に膾炙(かいしゃ)した楽曲だからこそ、曲全体にちょっと怠慢な感触を与えたら曲はどうなり、人々の反応はどうなるか、大変興味深いものが有ります。根っからの怠慢嫌いはいつの時代どこの社会でも少数派なのでは無いでしょうか(われわれ日本人だって、そう、もしかしたら大バッハだって本音の本音は・・・)?
そこで私は長調の原曲をそのまま多少傾ける、というか横たえる事にしたのです。
その結果、多少涼やかで、多少重力が軽減され、畳部屋、あるいはもしかしたら雲の上に寝転がる寛ぎ感すら得られるようになったかどうか、お試しいただければ幸いです。
ロクリアン・バッハ/吹奏八重奏曲「ニッポンの 空に寛ぐ バッハかな」
私はロクリアンで体(たい)を横たえ、勤勉極まりない大バッハに寛いでいただきたかった。
そのためにはロクリアンするというかロクリアンになっていただくというか、それが一番だったわけです。そうすれば体重も軽くなるのではないか、とか~チューバも身が軽くなって泳ぎ回る始末~。
もし、熱心な方がいて、原曲とこの改作とを交互に聴き続けれられば、その方の意識の中では双方引き立てあうのではないか、とまじめに思っている次第。
あの世のバッハがお聴きになったらなんとおっしゃるかな?!
編成:フルート(ピッコロ)、クラリネット、ソプラノサックス、アルトサックス、ホルン、ユーフォニウム、チューバ、ピアノ、
別称;「凧凧上がれ大バッハ」
ロクリアン・バッハ/木管五重奏曲「合体!雅楽とG線アリアの」
バッハのあの管弦楽組曲第3番ニ長調の有名なアリアと雅楽は相性がよい。
そう、ロクリアン正岡の下には!
いったいな何故でしょう、
教えていただけますか?
ロクリアン正岡:話と「余ハン・ロクリアン・バッハ・デス」の演奏
(踊ってみた)かの大バッハがセバスチャンからロクリアンに大変身したのでした。話と演奏;作曲者本人 2012年5月 すみだトリフォニー小ホールTalk about "Lion" and Performance of a "I am Locrian Bach."28/10/2013 at Sumida Triphony Recital Hall
ロクリアン正岡:話と「余ハン・ロクリアン・バッハ・デス」の演奏
(車載動画)かの大バッハがセバスチャンからロクリアンに大変身したのでした。話と演奏;作曲者本人 2012年5月 すみだトリフォニー小ホールTalk about "Lion" and Performance of a "I am Locrian Bach."28/10/2013 at Sumida Triphony Recital Hall
ロクリアン正岡:話と「余ハン・ロクリアン・バッハ・デス」の演奏
(作ってみた)かの大バッハがセバスチャンからロクリアンに大変身したのでした。話と演奏;作曲者本人 2012年5月 すみだトリフォニー小ホールTalk about "Lion" and Performance of a "I am Locrian Bach."28/10/2013 at Sumida Triphony Recital Hall
ロクリアン正岡:弦楽五重奏曲「残忍性の為の独房/霊性の為の要塞」
(歌ってみた)現代音楽の分野に目をやれば、「全体なるもの」から放逐されたようなデザイナー音楽が主流である。全体を諦めてしまい、部分性として開き直っている。だから、やれ「しっかりとしたコンセプトを!」とか、「作品には一貫性がなければ」とか、はたまた「芸術音楽に大衆性は必要か?」などと、苦慮を強いられることになる。それらは土台かつ所詮、本質から目がそれてしまった人たちの物言い(ほとんど屁理屈)なのだ。「音楽という時間芸術を物すには時間を超越(時間経過に沿うやり方ではなく、時間次元を一挙に同時的・瞬間的に体験)するしかなく、そのためには全体なるもの(=不可知の何様)に与るしかない!」LM以上、真善美を志向されるすべての方々へ、
ロクリアン正岡:交響詩:「十二単と花心」(1993)-cf.canvas music
(演奏してみた)Locrian MASAOKASymphonic Poem:“A Lady in Japanease Ceremonial Court Dress Admires the Beauty of the Flowers”画像にあるモデルとなった絵画は田口安男:一つでうづみ」(油彩画)300号ほど 私はこの絵画を見て「まるで音楽への翻訳を俟っているみたいではないか!」と思った。絵画の音楽への忠実な翻訳 ということに拘って拘って拘りまくった作品。