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西国街道行く 鳴川石畳遺構〜鉾ノ峠〜玖波宿,〜小方宿(間の宿)へ 総集編
西国街道行く
広島市周辺の旧山陽道(西国街道)の一部を何回かに分けて歩いてみます。面影はわずかだと思いますが 歴史のある道ですから。
ルート=廿日市市の西端 大野鳴川〜石畳道〜鉾ノ峠〜唐船浜〜玖波(くば)宿跡〜黒川を経て
小方(間の宿跡)までのロングバージョン
石畳道は昔の街道のもので西国街道の遺構です。峠越えはJRのトンネル上を通過しますので少しスリルがある。馬試しと言われる峠は旧道にトンネルができ、国道二号線が海側にできているので使われなくなっており通れない。
玖波宿=安芸国最後の宿場(隣の小方の休息などに使われた予備的な間の宿と補完しあっていた)
洪量館が本陣で文化人なども集い文化の華が咲いたと言い伝えられている。四境の役(長州征伐)で長州軍に焼かれ灰燼に帰す。その後再建された古民家や蔵などが残り風情ある町並みをまだ残している。
間の宿(あいのしゅく)=正規の宿場本陣などがいっぱいの場合、脇本陣などへ宿泊をさせたそうです。
厳(いつき)神社=厳宮(ごんのみや)大明神と呼ばれた古社。かては福島正則の亀居城本丸あたりにありましたが廃城となり妙見丸跡に遷座された。城が忘れさられても社は今に残りました。
その昔、厳島のお島周り式(島を回り七つの浦の神社で神事をする)御烏喰式(おとぐい)式というのがあり養父崎で団子を筏で流し神烏(おがらす)が取りに来るんだそうですが現れない場合は、厳宮(ごんのみや)出しといいこの宮の前まで船で漕ぎ出して拝したと言います
前の動画と玖波宿のところが被りますが、宿場と間の宿の相補的関係があり振り返りながら1本にまとめました。
【福島正則夢のあと】「 亀居城跡 」と桜(5分咲き) 後編(公園南側入り口〜亀居城城跡本丸へ)
【西国街道】江戸初期に福島正則が五年の歳月をかけて築城した要塞 亀居城である。
完成後間も無くわずか3年余りで幕府の命令により破却された城。あまりに大規模な堅城であったのが、災いしたのかもしれませんね。長く忘れさられていたが発掘され石垣など遺構が保存され城跡 亀居公園となっている。
元々は小方白と言われていたが山が亀の甲羅のような形なので亀居と呼ばれるようになった。
現代では広島県西端の桜の名所として有名。本丸跡からの眺めも良い。
行程=JR玖波駅で下車〜駅から西へまっすぐに国道2号沿いに進み(この方が早い)〜黒川地区から間の宿(あいのしゅく、休憩などに使われた宿場)小方(おがた)へ入り〜陸橋を越え線路向こうの西念寺横を抜けて城跡公園入り口(松の丸辺り)〜松の丸〜なしの丸、有の丸〜三の丸〜二の丸〜本丸展望所。
小方あたりには古代山陽道の遠管(おが)駅があったと言われているそうです。海側から道はあまり広くなく坂がキツい。山の北側に車が入る公園入り口があり駐車場もある。北側には山陽自動車道が走る。
南は海、堀を巡らし、北側は急峻な山があり、西は山陽道苦の坂の難所があり要害の地であった。
4月初め再訪したので別に桜満開の補遺編をあげます。
お城歴史的な事項に関しての情報〜 公園掲示板、大竹歴史研究会記事より参照。
福島正則の亀居城跡へ(西国街道沿い)前編 sm38506561
補遺編 亀居城 満開の花模様 sm38557402
西国街道行く 四郎峠〜鳴川石畳遺構〜鉾ノ峠〜玖波宿
西国街道行く
広島市周辺の旧山陽道(西国街道)の一部を何回かに分けて歩いてみます。面影はわずかだと思いますが 歴史のある道ですから。
ルート=宮内から四郎峠〜中山の疣観音(今川了俊歌碑)〜JR大野浦(今川了俊歌碑)をいくつか紹介して鳴川手前まで車載。
廿日市市の西端 大野鳴川(なるかわ)〜石畳道〜鉾ノ峠〜唐船浜(からふねはま)〜玖波(くば)宿跡へ
大野向原あたりからさらに山へいくあたりから残念社(長州征伐の時、幕軍伝令で長州軍に撃たれた依田半蔵を祀る)経由の古道(四境の役の古戦場)ですがで山道でもありパスしてます。寂しい古戦場を一人では歩きたくないもんな。
山を超えた場合、鳴川手前の団地のあたりに出てきます
石畳道は昔の街道のもので西国街道の遺構です。峠越えはJRのトンネル上を通過しますので少しスリルがある。馬試しと言われる峠は旧道にトンネルができ、国道二号線が海側にできているので使われなくなっており通れない。
唐船浜(とうせん浜)=太閤秀吉がこの浜で外航船を作らせたとか言われます。
玖波(kuba)宿
安芸国最後の宿場(隣の小方(ogata)=休息などに使われた予備的な間の宿と補完しあっていた)
洪量館が本陣で文化人なども集い文化の華が咲いたと言い伝えられている。四境の役(長州征伐)で長州軍に焼かれ灰燼に帰す。その後再建された古民家や蔵などが残り風情ある町並みを一部まだ残している。
ニコニコ登山祭 ♪♪ 「信仰の山 小方行者山299m」〜 石佛の参道を行く 広島県大竹市
大竹市の信仰の山 小方行者山。標高299m. 今回登山祭に合わせてようやく登山した山。 山頂までと探索で途中までと合わせて2回登ったわ^^;。
初稿は非公開のままだったので修正した上で再うP 長いよ。
場所はgoogleMap記載の玖波行者山の西側の小方にある山ですが、大竹市小方のゴルフ練習場もぐ太くんの西側にある堰堤から登った山。山名Google Mapには出てないね。
南側に亀居城がある。地図上の新幹線の線路あたりよりは南側で記載がない場所。真下に高速が見える。
旧山陽道の間宿・小方にある山で、聞くところでは今も神社を氏子さんが守っておられるそうです。
詳細は不明ながら元々修験道系の山のようですね。
山道が参道で玖波行者に比べ道が歩きにくい部分があったね。ルートはしっかりしている。
小方行者山 広島県大竹市小方 今も地元に守られた信仰の山でした。
撮影 LUMIX G9Pro 足元が悪いので上手く撮れなかった・・。
音楽 ニコニコモンズより ソタカ様 田中芳典様の曲をお借りしました。
広告御礼申し上げます(=^ェ^=)
龍休宗庵様
春乃あさみ ♤様
中華三振様
deco様
しづ様
nopposan様
西国街道を行く 芸州藩 西端の宿場 <玖波宿〜小方間宿跡鍵型の辻を散策する>(2)
大体(ほぼ、大まかに)西国街道散策。西国街道(旧山陽道)は京都から下関までを芸州藩では西国街道とよんだ江戸時代の五街道に次ぐ主要街道の一つ街道。広島城下をでて廿日市宿についで芸州藩の玖波宿は正式な最後の宿場であった。
隣の小方は間ノ宿で(基本休息用に利用され、補完的に収容しきれない場合宿泊なども受け持った)と言われる。
江戸末期、廿日市宿もそうだが玖波宿や小方宿も長州征伐の時、長州毛利藩により攻撃され本陣以下街並みが 灰燼に帰したと言います。再建の古い町並みは建て代わりあまり残っていないですが、小方あたりもいくらか残っている。昭和的な古い町並みがある。
旧黒川村〜小方・間宿入り口には大きく折れ曲がった鍵型の道がある。このあたりから白壁の古い町屋などいくつか見られる。終点は 芭蕉のけごろもの句碑(俳諧愛好家が元禄時代建立)まで。その先は高速インターを作る道路工事が行われつつあった。
ガイドブックを片手に西国街道の道筋(開発等で道筋が消えている部分もあるので景色の良さそうなところを)だいたいその辺という程度で散策ウオーキングして行きました。
大竹方面へ行った折に11月12月に二回くらいに分けて散策しています。
訂正=芭蕉の裘の句碑150回忌記念ですから元禄時代ではなく天保年間建立です。
次は、草津間宿あたりを再訪してみたいですね。
【4/22】石油コンビナート爆発【大竹市】
山口県玖珂郡和木町和木6丁目の三井化学岩国大竹工場の石油コンビナートで爆発が起きた模様です。家を揺るがすほどの爆発音と振動が発生し、一時騒然となりました。この動画は爆発発生からおよそ5分後に、大竹方面から撮影したものです。現在は鎮火した模様です。また4/23に三井化学から御詫び訪問がありました。大竹や和木を中心に社員が一軒一軒頭を下げて回ってました。※不謹慎な発言もありますが、本当にテンパっていたのでご容赦いただければと思います。追記:被害者の方のご冥福をお祈りします。被害者が出ているのも関わらずマスコミはほとんど報道してませんね。なんでクジラとぶつかったニュースばかり流してるのだろうか。マスコミ終わってるよ……。この動画は自由に転載していただいて構いません。
【一桁国道走破シリーズ001】 国道2号 Part-07
工事中だった廿日市高架橋が暫定開通し、かなり流れがよくなりました。
動画速度:3倍速
Part-06:sm17265248
Part-08:sm17286333
その他の動画:user/10511673
信仰の里山< 玖波(くば)行者山 展望の行者堂までの山行 >【1分弱登山祭2022 】ガイド音声入
初参加ですよろしく!。
すいません最初に作った数本は要領得ないんでなんか長くなった。
大竹市玖波 江戸時代までは近世の西国街道 広島藩領西端の宿場町として栄えたところ。
この山麓に石鎚本教の教会があり今でも現役の修験道の山です(そこが管理されていると思う)。
やはり寄進とかないと大変なんでしょうね。昔に比べるとだいぶ痛んでいますね。デフレ30年地方の寺社の疲弊はひどいものですよ。
今回は丁塚を見ながら=西山社〜登拝登山道〜禊場〜行者堂までを登った。
ナビゲーター=Siriちゃんです。
通常コースタイムは山頂まで数回登りましたが3〜40分程度と思う。
今回8合目までだがここも木がない分 相当展望が良いです。
ここは昔から駅から近いし眺めがよろしいので結構登ってます
里山散策です。R4.4.24
山は海から程近く急峻に見えるがあややあれ加減ながら意外に登りやすい。登山靴が良いです。
標高は323.5mほどの里山であるが、古来修験の山として知られ今も石鎚本教の行場である。
山頂には頂上社 石鎚神社の祠がある。
主要コースは以下
*西山社(本日のコース)からの参道コース
*石鎚本教の教会・社殿裏から正面を岸壁の下を迂回しつつ上るルート(鎖場は修行用なので使用不可)
*谷和林道から玖波槍(岩峰)へ尾根伝いに灌木が茂る中を抜けるコース、
*西山社を過ぎ憩いの森へ至り途中から玖波槍と行者山の間に抜ける(灌木やシダの間を抜け
る)また黒川地区の大膳川の渓谷沿いに錦龍の滝をへても憩いの森へ入れる。
もし行かれる方がいれば登山ガイドなどよく調べてね。足元良くないところも多いので。
音楽 ニコニ・コモンズ のる様作
mountain breeze~爽やか&軽快なピアノソロ~
坂道のカフェ。.*:+☆軽快でおしゃれなピアノソロ
忘却の都~ノスタルジックなBGM~
【けんけん動画】広島県道289号線(その1/2)《大竹市飛地》
広島県大竹市の栗谷と廿日市市の大野を結んでいる、県道289号栗谷大野線を走った動画です。
その1では、起点の栗谷から、渡ノ瀬貯水池の南東端(r42交点)までを走ります。
●その2(渡ノ瀬貯水池南東端(r42交点)~大野支所北):sm16745774
●撮影日:2012/ 1/ 8
●BGM:浜谷さん(SHW:http://shw.in/)
◆うpリスト その9:mylist/28587745/車載動画以外:mylist/16971374
西国街道を行く 芸州藩 西端の宿場 <玖波宿〜小方 付近を散策する>(1)
大体(ほぼ、大まかに)西国街道散策。西国街道(旧山陽道)は江戸時代の街道。広島城下をでて廿日市宿についで玖波宿は芸州藩の正式な最後の宿場であった。
隣の小方は間ノ宿で(基本休息用に利用され、補完的に収容しきれない場合宿泊なども受け持った)と言われる。
江戸末期、廿日市宿もそうだが玖波宿も長州征伐の時、長州毛利藩により攻撃され本陣以下街並みが 灰燼に帰したと言います。町は幕末以後再建された。
玖波の街道筋はすぐ南側は海であった。本陣も大変美しい建物だったようで文人墨客が宿泊したり文化の華が咲いたと言われたが幕末失われた。町家的な古い町並みも今は建て代わりあまり残っていない。
白壁の建物や蔵、高札場跡や共同井戸(行者山の行者が水垢離などもした)などがわずかに風情を残す。
海岸沿いには今は国道2号線がありますが、昔は山側に街道がつけられていた。
今回は映してないが「馬試し」の山が東の宿場入り口にあり(今はトンネルがある)、街並みの中ほどの旧本陣あたりからから山側へ街道は通り(JR線路下を抜け)浄土宗 称名寺前から山裾を西へ抜けていたらしい。
今回歩いたルート=行者山の風景を見ながら駅前〜恵川に出て〜線路を超え、新広島八十八箇所二番霊場前〜川を渡り〜病院のある岡へ上がり(上がり切った所を直進し高速高架の向こう山へ入ると行者山の 西山社がある)〜岡を左折し景色を眺めながら進む。昔の街道筋の道は開発で消えている。
ガイドブックを片手に西国街道の道筋(開発等で道筋が消えている部分もあるので景色の良さそうなところを)だいたいその辺という程度で散策ウオーキングして行きました。
大竹方面へ行った折に11月12月に二回くらいに分けて散策しています。
その二 小方宿へ sm38009566
【 西国 街道 】木野「大元神社」と旧跡「太閤さんの振舞い井戸」 〜広島県大竹市木野(この)〜
江戸時代の官道〜旧山陽道(西国街道)沿い木野(Kono)集落。街道沿いの二ヶ所の小さな旧跡を訪ねた。大元神社と太閤の振舞い井戸。
小瀬川沿いに面した川にせまる急な山に囲まれた場所。大竹の御薗〜苦の坂を越えた街道は、やや川下の「木野の渡し場」へと続く。今は両国橋がかかりかつての国境線を繋いでいる。
*ちなみに小瀬川は江戸期までは木野川(芸州藩)、小瀬川(長州藩)で名前が違っていた。
この辺りはよく通るので、久々に登ってみた。神社も井戸も交通量も多く車だとそばには止められないのでやや不便。 高速道路、山、川に田園、風景にそこはかとない風情を感じます。
この後は、県境を越え錦帯橋へ臥竜梅など梅の花を拝見に行きました。バテた^^;
臥竜の梅〜観梅と吉川公菩提寺 洞泉寺 sm38335880
大元神社=上木野の鎮守。天正年間以前の勧請だそうですので眼下に西国街道を長く見守っていたと思われる御社。急な山の山腹にあり長いスロープと石段がある。明治期に二度河川氾濫のおり土石流が社殿の両脇を流れ落ちた。祭神=国常立尊を祀る。厳島神社の摂社「大元神社」を勧請したと思われる。木野神楽団の根拠地。訂正〜参道修復碑をよくみますと狛犬→唐獅子のようです。
太閤振る舞い井戸=地元で云う「つぼかわの井戸」の別名。九州征伐の折(または文禄の役の折にもか)と思われるが、山陽道を進む軍勢がこの地で休息、太閤秀吉に里人は井戸の水で湯を沸かし茶を点て振る舞ったと云い、太閤はことのほか上機嫌に喜んだという故事に因んで呼ばれる。飲料水、田畑への灌水と長く里を潤してきた井戸は今も守られている。大竹歴史研究会記事参照。
やや川下の同県道沿いに駐車スペースがありました。
またやや川上の県道沿いに「苦の坂」入り口(古戦場跡入り口)「ちきり神社」(油見トンネル木野側出口)がある。川下〜木野渡し場跡の広場。両国橋の向こう側岩国市に吉田松陰歌碑。
国道2号線を走破してみた Part4
大阪から北九州を結ぶ大動脈、国道2号線を走破します。Part4は岩国市の野口交差点から広島県廿日市市の佐方SAまで走ります。
前→sm25169083
次→sm25460709
まとめ→mylist/47260277
西国街道を行く 安芸と周防国境「木野(この)」里の風景(広島県大竹市)画質改良
西国街道を行く
広島市周辺の旧山陽道(西国街道)の一部を何回かに分けて歩いてみます。面影はわずかだと思いますが 歴史のある道ですから。
前より高画質化して若干増補改訂しました。
玖波宿、小方宿を過ぎ、(山越えで)苦の坂峠を越えますと 広島県と山口県の境を流れる小瀬川沿いにある山間の集落である大竹市木野(この)に出る。江戸時代西国街道が通り安芸と周防の国境線として渡し場があった。
小瀬川(江戸時代までは安芸国側は木野川、周防側は小瀬川と呼んだ)には今は新しく両国橋がかかり車でも渡れる。
車載でまず走り。次いで小瀬川沿いに山が迫る木野の里の景観や旧跡を見て歩いた。
木野の渡し場と古い町並み編 sm35994416
2019 早春
国道2号線(6) 岩国市(R187交点)~広島県大竹市
3倍速。国道2号線(5) 周南市~岩国市(R187交点)(sm18834519)の続き。岩国市錦橋交差点から岩国市街、そして県境を超えて広島県大竹市の大竹IC入口まで。途中、和木町を通過。この辺で錦帯橋、岩国城を通ります。立石交差点でR188(sm18621887)と合流。続きは、国道2号線(7) 大竹市~廿日市市(sm19022462)。 マイリスト(mylist/31518579)。
Voicepeak【彩澄りりせと行く神社巡り2】 西国街道に御鎮座「黒川 大歳神 社」 〜 広島県大竹市
広島県の神社巡りその2 広島県西端の大竹市黒川。旧街道西国街道筋に面した神社。
玖波宿と小方間宿(主に一時的休息に使われた宿場)との中間に位置する旧黒川村の鎮守。時代の波に翻弄されながら今も静かに鎮座しています。なかなか良い。
広島岩国道路建設(正式にはバイパス扱いなんだけど、まあ山陽道ね)により大歳の杜を切り開き遷座している。
祭祀は玖波大歳神社さんで兼務
神社案内ガイドは彩澄りりせちゃん(voice peak)さんです。音声案内は最小限にとどめております。
テスト投稿2 りりせさんのご案内による神社参拝記。
できるだけ声を抑え目にしてナレーション重視で調整。
こまめにプロジェクト保存しないとたまに落ちたり、自動保存はしてくれない注意だよん。
趣味的には音楽だけの方が、場所柄 ここだとより静寂の雰囲気はあるかな。
ただ音声が入るとわかりやすい(読むことに集中しなくて良い)
Voicepeak【フリモメンと行く神社巡り2】 西国街道に御鎮座「黒川 大歳神 社」 〜 広島県大竹市 テスト用(別音声)
フリモメン版 ようつべ用なんだけど テストなんで今週いっぱい公開にしてみます
こういう寺社動画には声はどっちが合うんだろうか?
内容は一緒です^^
広島県の神社巡りその2 広島県西端の大竹市黒川。旧街道西国街道筋に面した神社。
玖波宿と小方間宿(主に一時的休息に使われた宿場)との中間に位置する旧黒川村の鎮守。時代の波に翻弄されながら今も静かに鎮座しています。なかなか良い。
広島岩国道路建設(正式にはバイパス扱いなんだけど、まあ山陽道ね)により大歳の杜を切り開き遷座している。
祭祀は玖波大歳神社さんで兼務
神社案内ガイドはフリモメン(voice peak)さんです。音声案内は最小限にとどめております。
テスト投稿2 フリモメンのご案内による神社参拝記。
できるだけ声を抑え目にしてナレーション重視で調整。
こまめにプロジェクト保存しないとたまに落ちたり、自動保存はしてくれない注意だよん。
趣味的には音楽だけの方が、場所柄 ここだとより静寂の雰囲気はあるかな。
ただ音声が入るとわかりやすい(読むことに集中しなくて良い)
玖波 大歳神社と神生(みあれ)石(西国街道 玖波宿の鎮守) 広島県大竹市 記録
広島藩(芸州藩)西端の宿場 玖波(クバ)宿のすぐ近くに、行者山麓の鎮座する。行者山は修験道の山で現在は石鎚神社系の修験道の山である。ハイカーがよく訪れる山でもある。
玖波(クバ)大歳神社=恵川の傍に鎮座し、後ろは行者山がある。鎮守の森がこん森している。
やや山側には山陽新幹線、神社の南には広島岩国道路(山陽自動車道へ接続)の橋脚があり現代と古いものが混在している。
社殿は昭和42年コンクリート再建(拝殿は流造、向拝付瓦葺き、神殿は神明作り銅板葺)昭和20年の枕崎台風以来3度の大きな風水害で痛み再建されたものだ。
社殿は白を基調にしていて造りも自然な感じなので意外に周囲の感じとあっていると思い悪くはない。
また神社の社殿の横には神の降り来る磐座が今も祀られており神生石(みあれいし)として鎮座している。社殿はこの祭祀対象の石を避けて横へのちに建立されてきたものらしい。
ここ玖波と周防の山里=山代地方(今の岩国市になる)の生見は昔から縁が深いようです。御幣が玖波から山代の生見まで飛んでいったというようなお話もの残る。また岩国の堅石明神(御神体の大岩がある)の縁起にもここの神社が出てくるらしい。
玖波(クバ)について余談
この玖波という地区は古くは古代山陽道 遠管駅家が置かれた場所といわれ古代から安芸の国西部のにおける交通の要衝の一つであった。
厳島にも近く瀬戸内の海運の港として、玖波谷へ山から降る道は周防山代など山間部地域から物資の降ってくるルートとして用いられたようだ。現代では役目を終え静かな町でわずか昔の面影を残す。
今は海が近く国道2号線が走りますが、昔は海側に道が無く廿日市から山越えで鳴川の石畳(遺跡がある)を抜け鉾の峠〜から唐船浜を経て馬試しの山をこえて玖波宿へ入っていようである。今はうま試しの山には隧道が通り玖波宿へ(旧道)また海側はおそらく削られ国道2号が開通している。江戸時代までは山側に旧山陽道が通っていた。
*神社の歴史などは玖波大歳神社サイトと大竹歴史研究会サイトを参照させていただいた。人
なかなか詳しいです。
【福島正則夢のあと】「 亀居城跡 」と桜 前編(JR玖波駅〜亀居城公園へ入るまで)
【西国街道】江戸初期に福島正則が五年の歳月をかけて築城した要塞 亀居城。
完成後間も無くわずか3年余りで幕命ににより破却された城。長く忘れさられていたが発掘され石垣など遺構が保存され城跡 亀居公園となっている。現在公園から離れた海側の「妙見丸」には厳神社がある。
現代では広島県西端の桜の名所として有名。本丸跡からの眺めも良い。
行程前半部分=JR玖波駅で下車〜駅から西へまっすぐに国道2号沿いに進み(この方が早い)〜黒川地区から間の宿(あいのしゅく、休憩などに使われた宿場)小方(おがた)へ入り〜陸橋を越え線路向こうの西念寺横を抜けて城跡公園入り口(松の丸辺り)まで。小方あたりには旧山陽道の遠管(おが)駅があったと言われているそうです。
道はあまり広くなく坂がキツい。ちょいと長いので分けた。ようつべにあげたものを増補改訂した。
山の北側に車が入る公園入り口があり駐車場もある。
後編は城跡や桜を散策します。sm38555020
補遺編(満開の時期の様子) sm38557402
浄土宗 知海山 西念寺 追記=調べ直してみた。厳島光明院の運誉上人が破却された亀居城址のあたりに隠棲念仏修行されていたところ。民衆は大変上人を慕い、領民からの嘆願があり上人を尊崇していた領主の福島正則が元和元年(1615年)旧城内にあった圓通寺の建物を寄進して移築し西念寺としたようです。大楠は樹齢は四百年だそうです。
幕末長州征伐のおりは長州軍が占拠し幕府軍により砲撃がありその跡もああるそうです。
大竹歴史研究会記事、西念寺HPより参照。
晴海臨海公園(宮島海峡を望む海に面した公園)と小方港 広島県大竹市
ローカルスポット。宮島の海峡の西端に面した臨海公園と小方港散策。廿日市のおおの自然観察の森へ森林浴へ行こうとしたが林道通行止めで行けず 大竹に回る。
大竹市玖波の錦龍の滝も通行止めらしいので、国道2号線近くの小方港方面へ。
宮島の隣 阿多多島(牡蠣やはまち養殖などで有名)への航路などが出ている港、漁船なども停泊している。防潮堤では釣り人などもいましたね。
傍には晴海臨海公園があり散策や球技など運動やウオーキングができる デイキャンプも可能らしい。
県がコロナ緊急事態で散策のみおkでありました。瀬戸の島や山が見えて悪くはない。晴れてれば良いでしょうな。海の傍だが木陰がないので夏は暑そうw
西側入り口〜東入り口へ一回りして景色を眺めただけの記録。ストーンアートなどもありました。弥栄ダム建設時に出た岩石を使い市内各所にあるらしい。
【一桁国道走破シリーズ001】 国道2号 Part-06
いよいよ広島県に入ります。
動画速度:3倍速
Part-05:sm17265042
Part-07:sm17265417
その他の動画:user/10511673
晩春の 大竹 疫神社・大治社大竹市元町
広島県西端の街大竹市 鎮守大瀧神社の元の鎮座地(弥ヶ迫)にある「疫神社」(疫病を鎮めるため祭られた)と大治(おおし)社(宗像三神中でも田心姫命を祀る)大瀧神社〜御神幸の終点でもある。
桜のころも撮影したので桜模様はまたうpします。
大竹地域の言い伝えでは=ここの場所あたりに厳島神社創建社として知られる流刑中の佐伯鞍職(くらもと)が居住していた場所と言われる。厳島明神鎮座伝説中では所の翁とも呼ばれる。疫神社境内の 山の方に所塚(佐伯鞍職の形代をおさめているという)
注)この時は上までは行かなかったのですが、推古桜(途中で折れてる)が見えるところまで上がりました。そこから見た感じでは楕円形の石がいくつか据えてありちょうど墓所に花筒にシキミが供えてあるように見えたもんで。写真は失敗してた。
もしかしたら所塚自体はさらに奥かもしれません。墓の可能性も機会があればまた見てみようかな。
大瀧神社 宮司家=所 氏ですからね 佐伯氏の系譜か?
大治(し)社=田心姫を祭るお社。恵比寿様も合祀されているようです。
疫神社(やくじんじゃ)
大国主命、少名彦命(字幕=打ち間違えてます訂正します^^; 動画はこのままにします)、素盞嗚命〜祭神は元は牛頭天王なんでしょうね。
所の翁=伝説ですが、厳島明神が厳島へ来た時、海上で出会った釣りをする翁。どこのものかと問えば
所のものですと答えたという伝説で(この土地のものです意味)厳島神社創建の佐伯鞍職である。
佐伯鞍職(大竹の説話では)、または別の人物とも・・。
歴史的なものは大竹歴史研究会のHP記事を参照しています。
Voicepeak ♪ ♪安芸路巡り「早春の旧山陽道 木野(この)の渡し場跡と中津原の古い町並み」 広島県大竹市木野中津原
Voicepeak版 旧山陽道(西国街道) 木野(この)の渡し場跡周辺と街並みの風景。
旧型ですが^^新しいカメラのテスト。
前半、終盤 Voicepeak解説 中盤は字幕とBGM (歌唱入)で構成なので音声ガイドなし。
安芸国(芸州藩)と周防(長州藩)の国境線。船の渡し場があった場所。武士は無料、人は2文、牛馬4文
節約する旅人用に徒歩で渡る浅瀬もあり徒渡りの瀬=70cmほどの水深があったらしいです。
昔々は小瀬川(木野川)周辺は、川船を利用した物資集積地で山間部、沿岸部の物産が行き来した物流の中継で栄えた商業や味噌醤油、酒の醸造も行われ各地へ販路を求めて運ばれた。
また木野や対岸の小瀬など小瀬川周辺は優良な和紙の生産で栄えた地域ですね。
大竹歴史研究会のサイトを見ますと多い時は40艘余りの川船が行き来していたらしいですね。
木野1丁目(中津原)周辺は小瀬川(木野川)の土砂が堆積してできた土壌のようですね。
やや上流は木野2丁目で上木野と呼ばれた。
細かい歴史的なものは大竹歴史研究会の解説を参考にしています。詳しいサイトです。
撮影 Panasonic LUMIX G9 Pro /LEICA DG- VARIO ELMARIT12m-60mF2.8-4
4K撮影。
音楽がニコニコ関連限定なので、ニコニコバージョンです。
大竹市元町 疫神社・大治社と神楽山 薬師寺【芭蕉の弟子 志太野坡 記念の浅生塚】
広島県西端の街大竹市 鎮守大瀧神社の元の鎮座地(弥ヶ迫)にある「疫神社」(疫病を鎮めるため祭られた)と大治(おおち)社(宗像三神中でも田心姫命を祀る)大瀧神社〜御神幸の終点でもある。
言い伝えではここの場所あたりに厳島神社創建社として知られる佐伯鞍職(くらもと)が居住していた場所と言われる。伝説では所の翁とも呼ばれる。山の方に所塚(佐伯鞍職の形代をおさめているという)
真言宗 神楽山「薬師寺」
小さなお寺ですが、広島新四国88ヶ所霊場四番札所となっている。後ろの山上にかつて存在したという西福寺の後継の寺院で護摩堂を麓に移し創建したと言われている。
市内でも古い宝篋印塔(なかなか大きなもの)や古い仏像も多いようです。これらは江戸時代の災害など多い頃建立されたらしい火伏せ地蔵、法華塔の地蔵尊(宝篋印塔の守護)などもある
本堂の写真は没でした(失敗)本尊は薬師瑠璃光如来(六十年ごとにしか拝めませんです)
本堂上に浅生塚があり、芭蕉の弟子で軽みを継いだという芭蕉の弟子 志太(浅生庵)野坡(やば)の門人で、ここ大竹の芦蕗たち竹里連(俳諧を行う集まり)が野坡三十三回忌に建立した石碑。
野坡は西国方面で活動し、ここ広島藩最西端の地へも何度も訪れ連句を巻き、指導をおこなった。
【広島県の神社巡り】旧厳島神社兼帯社 大瀧(おおたき)神社 広島県大竹市
広島県西端の街〜大竹市の古社 大瀧神社(旧村社) 厳島神社の旧兼帯(社)七社の一つ。江戸期までは厳島神社から祀官が来て祭祀を行っていた謂れがある。
社伝では推古天皇5年創建らしい。村の拡大に伴い元亀年間(戦国期)、元文年間(江戸期)2度の遷座があり現在地 歯朶山の上に鎮座する。
祭神=宗像三神の一柱〜多岐都比賣命を主祭神として他七柱、
小高い山上にあり鎮守の森が覆う野鳥が多く自然が守られている。東麓には招魂社が鎮座しており境内は神社の駐車場も兼ねている。
狛犬、社殿も見応えがなかなかあります。4〜5回目なんだが環境も良いので運動がてら参拝もよかった(何度か通ってみないとわからないもんですな)
宮司さんは所さんといわれるそうで 厳島神社の鎮座伝説にもいう所の翁の後裔といわれるそうです。
拝殿の彫刻がなかなかよかった。
境内社=市内の祇園、淡島社、七福神社が合祀して祀られる社がある。
境内入り口の神明型鳥居は市内一大きな石造物だそうです。一ノ鳥居は本町筋側にあり離れているかつてはこの辺りまでが境内地だったらしい。
また街が拡大して埋め立てられる前は本町筋の先に船をつけて参拝したといわれているそうです。
今は埋め立てなど進み内陸側にあるが海の神として漁業者などの信仰も厚かったといわれる。
細かい歴史は大竹市歴史研究会のサイト参照(なかなか詳しいです)
音楽 のる様作 ニコニ・コモンズより
やさしいひととき。.*:+☆ジャズ風・優しいピアノソロ
鎮守の森~和風&アンビエントなピアノソロ~
【こくこく動画】国道2号線の広島以西を走ってみた(その2)
その1はsm4873504。その2では、深江(宮島口西)から広島山口県境の栄橋までを走ります。ほぼ3倍速です。●その3(栄橋~錦橋):sm4898227●撮影日:2008/ 8/ 3●BGM:煉獄庭園さん(http://www.rengoku-teien.com/)◆うpリスト mylist/3800890・mylist/7640224
小瀬川流域紀行(一)弥栄ダム湖を望む 後飯谷「客神社」・「河内神社」 広島県大竹市
大竹市の黒滝山山麓。後飯谷(うしろいいだに)眼下の弥栄ダムの景色も良い。この谷は黒滝山登山口になっていた。弥栄大橋方面から黒滝山を見ますと山の上に赤瓦の御社が見えるの客神社です。
前から気になっていたので迷っていたらちょうど大竹市議会選挙カーが入っていくのに続いて登り参拝してみた。
客神社は大変景色がよいです。ダム湖と吊り橋、山々の風景。いい場所に鎮座している。
小瀬川対岸 岩国市側の山中には餅ヶ峠(弥栄ダムの管理道から林道を抜けて近い、まだ人が住んでいます)、沼田原、丸田、矢細工、柏など廃村や限界集落が点在しするエリアです。
屋島で敗れた平家軍落人の里とも云われるところが多い。
ここからやや下の大竹市安条の向かい側で岩国市小津川〜渓流沿いにも現在も人が住む集落も点在する。
参考:大竹市歴史研究会HP記事参照。
【島訪問】阿多田島・広島県大竹市
2009年12月訪問。ライフワークの一つ郵便局巡りの一環で、広島県で最後に残っていた離島を訪問しました。乗ったフェリーは他所では見かけない構造で、ちょっと衝撃を受けました。郵便局路地の入り組んだところにあって、一発ではたどり着けませんでした。
他の制作物myvideo/4399569
【けんけん動画】山口県道・広島県道1号線《関々バイパス》
山口県岩国市と広島県大竹市を結ぶ県道1号線を走破しました。
2県道にわたるといっても、広島県区間の実延長はわずか39mしかなく、実質的には山口県道といっても差し支えないでしょう(山口県内の実延長は13.6km)。
■コメント24番さんのとおり、2013年12月2日に延長されました(約2,147mの延伸)。しかし延伸区間はすべて国道186号現道との重複です。
●撮影日:2009/ 6/27
●BGM:煉獄小僧さん(煉獄庭園:http://www.rengoku-teien.com/)
◆うpリスト mylist/3800890・mylist/7640224・mylist/11057064・mylist/13240610
【こくこく動画】国道186号線を走ってみた(その5)
その1は、sm3546266 です。これで最後となります。残った区間の大竹市安条~みどり橋東詰(終点)を、トンネルを通らずに旧道経由で走ります。●その4:sm3599093●撮影日:2008/ 5/ 4●録画時コーデック:WMV9(1,191Kbps)●中間ファイル:MPEG-2(1,200kbps)●BGM:SAM Free Musicさん(http://sam-free.com/)◆うpリスト mylist/3800890●参考記事(ショートカットトンネル4本を含む御園バイパスについて):西広島タイムス http://www.l-co.co.jp/times/log/03/030704/44.html
【拝殿の彫刻がかわいい 】三ツ石 「河内神社」(広島県大竹市三ツ石町)修正版
旧PCが起動してデータ救出ができたので保存用として。字幕の抜けを直しサウンド追加。
地方の神社巡り。広島県の西端大竹市にある 神社。大竹市の県道117号線沿いの三ツ石町にある鎮守社。江戸時代やや下の御薗〜苦の坂峠へかけて西国街道が通っていた。
大竹の御園のあたりから入り三石浄水場前から小瀬川沿の穂二原(ほにはら)あたりへ出る県道横の岡の上にある。小高いところに姿のいい赤い鳥居が目立つのでこの道を走ったことがある方は見ているはずですが。以前1回行ったことがあるんですが様子をよく覚えていないのと駐車スペースがないのが大変。
此の間、御祭り前に幟がたったり幕を張ってある時行きたかったんですが、ようやく時間を見つけて
今頃参拝してきた。前から鳥居が気になっていたので記録してきた。
ただ由緒などは不明、佐伯神社庁のHPに名前以外ない。
境内はすごく綺麗にされていていいですよね。拝殿の動物の彫刻が丁寧でいいです^^
神社あたりを少し過ぎて浄水場手前の路側に駐車できるスペースが若干あるので車ならそこがいいでしょうが厳しい。神社周辺の三石地区は駐車スペースはない。眺めは良かったですまた行きたいです。
隣がお不動様を祀るお堂(四角いコンクリート製かな?祭壇のちゃんとしているサッシもはまって立派)神仏習合の名残かもしれませんが?
宮島の島の桜スポット sm38597393
大竹市周辺
大竹市 桜の名所 福島正則の亀居城跡へ(西国街道沿い)前編 sm38506561
岩国市 令和三年 最盛期の錦帯橋の桜模様 sm38531266
【 拝殿の彫刻がかわいい 】三ツ石 「河内神社」(広島県大竹市三ツ石町)
広島県の神社巡り〜ローカルネタすぎますがまたもやです。広島県の西端大竹市にある 神社。大竹市の県道117号線沿いの三ツ石町にある鎮守社。江戸時代やや下の御薗〜苦の坂峠へかけて西国街道が通っていた。
字幕抜け=4分23秒〜テキスト入れ忘れてました=「河内神社 御本殿です」^^;
大竹の御園のあたりから入り三石浄水場前から小瀬川沿の穂二原(ほにはら)あたりへ出る県道横の岡の上にある。小高いところに姿のいい赤い鳥居が目立つのでこの道を走ったことがある方は見ているはずですが。以前1回行ったことがあるんですが様子をよく覚えていないのと駐車スペースがないのが大変。
此の間、御祭り前に幟がたったり幕を張ってある時行きたかったんですが、ようやく時間を見つけて
今頃参拝してきた。前から鳥居が気になっていたので記録してきた。
ただ由緒などは不明、佐伯神社庁のHPに名前以外ない。
境内はすごく綺麗にされていていいですよね。拝殿の動物の彫刻が丁寧でいいです^^
神社あたりを少し過ぎて浄水場手前の路側に駐車できるスペースが若干あるので車ならそこがいいでしょうが厳しい。神社周辺の三石地区は駐車スペースはない。眺めは良かったですまた行きたいです。
隣がお不動様を祀るお堂(四角いコンクリート製かな?祭壇のちゃんとしているサッシもはまって立派)神仏習合の名残かもしれませんが?
大竹市周辺
大竹市 桜の名所 福島正則の亀居城跡へ(西国街道沿い)前編 sm38506561
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大竹市木野(西国街道)大元神社と太閤振舞い井戸 sm38361367
大竹市木野 西国街道=渡し場跡と古い町並み sm35994416
【こくこく動画】国道186号線を走ってみた(その4)
その1は、sm3546266 です。今回は、広島県廿日市市浅原(r293交点)から大竹市の安条トンネルの手前までです。国道186号線は、弥栄(やさか)湖のそばを通ります。●その3:sm3592293●その5:sm3605672●撮影日:2008/ 5/ 4●録画時コーデック:WMV9(1,191Kbps)●中間ファイル:MPEG-2(1,200kbps)●BGM:SAM Free Musicさん(http://sam-free.com/)◆うpリスト mylist/3800890