タグ 岡部幸雄 が登録されている動画 : 179 件中 65 - 96 件目
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【競馬】[1978年]天皇賞(春) グリーングラス
【youtube転載】今回も不調が伝えられ天皇賞は同馬にとって鬼門となりつつあったが、直前の調教で急上昇、1番人気に支持される。そしてこのレースでも京都コースのインを抜け出したグリーングラスは、トウフクセダン、カシュウチカラらを抑え、2つ目のビッグタイトルを獲得する(岡部も天皇賞初制覇)■1着グリーングラス(岡部幸雄)■2着トウフクセダン(宮田仁)■3着カシュウチカラ(出口明見)■4着ジンクエイト(田島良保)■5着カミノカチドキ(小島太)■6着ハシコトブキ■7着キングラナーク■8着ビクトリアシチー■9着ロングイチー■10着マーブルペンタス■11着ハッコウオー■12着トウカンタケシバ■13着ヒシノプルーム■14着スリークルト■15着ベル■中止プレストウコウ←郷原(父)
【競馬】[1998年11月22日]マイルチャンピオンシップ(GI) タイキシャトル
【youtube転載】5馬身差の圧勝とか… ヽ(´Д`;≡;´Д`)丿■1着タイキシャトル(岡部幸雄)■2着ビッグサンデー■3着ヒロデクロス■4着エイシンガイモン■5着シンコウスプレンダ■6着キョウエイマーチ■7着オースミタイクーン■8着シーキングザパール■9着サクラエキスパート■10着ロイヤルスズカ■11着ランニングゲイル■12着ホッコービューティ■13着マウントアラタ
【競馬】1995年/朝日杯3歳ステークス(GI) バブルガムフェラー
1995年に美浦・藤沢和雄厩舎に入厩し、3歳10月にデビュー。2戦目で勝ち上がると3連勝でGI朝日杯3歳ステークスを勝ち、1995年のJRA賞最優秀3歳牡馬(旧称。現在のJRA賞最優秀2歳牡馬)に選ばれた。■1着バブルガムフェロー■2着エイシンガイモン■3着ゼネラリスト■4着セイントリファール■5着タヤスダビンチ■6着ダイタクカミカゼ■7着アンビシャス■8着ジェプラズドリーム■9着プラウドマン■10着スキーミュージック■11着ギガトン■12着フィールドプリンス
(競馬) 第109回天皇賞(春) - ビワハヤヒデ
1994年4回阪神2日( 4月 24日) 10R
3200m芝・右外
発走 15時 40分
天候:曇芝:稍重
第35回宝塚記念 - ビワハヤヒデ sm4060262
第54回菊花賞 - ビワハヤヒデ sm4062619
マティリアル スプリングステークス 1987年
無かったようなのでUP
1着 マティリアル 岡部幸雄
2着 バナレット 増沢末夫
3着 ウインストーン 大塚栄三郎
【競馬】岡部幸雄氏による有馬記念前編
家の中を漁ってたら出てきた。4年位前にJRAから送られてきたDVD。名ジョッキー岡部氏が過去の有馬記念を振り返っています。 後編→sm9898907 過去のものmylist/17899546
【岩手競馬】 マグナーテン(岡部幸雄騎乗)、岩手の条件交流戦に出走
2000.06.12 盛岡競馬場 フレンドリーカップ
【競馬】[1992年4月5日]産経大阪杯(GII) トウカイテイオー★安田から岡部
【youtube転載】鞍上に岡部幸雄が新たに迎えられ、ダービー以来の出走。阪神3歳ステークスを制した同世代のイブキマイカグラや前年の有馬記念を制したダイユウサクなどの強豪も出走したが、これらの凡走を尻目に、追われることなく手綱を持ったままの楽勝であった。『前走(sm3578921)⇔次走(sm3244130)』■1着トウカイテイオー■2着ゴールデンアワー■3着マミーグレイス■4着イクノディクタス■5着ホワイトストーン■6着ダイユウサク■7着イブキマイカグラ■8着ネーハイビクトリー■【産経大阪杯:mylist/7022443】
JRA CM Go! JRA Jockey 2
2001年辺りのナイナイがやっていたJRAのCM。記者のぼやき編・初勝利編・ライバル編の3つです。Part1はsm197929へ。
【競馬】第29回 有馬記念 1984年(シンボリルドルフ)
2頭の3冠馬(ミスターシービー・シンボリルドルフ)とそれらを倒して日本調教馬として初めてジャパンCを制したカツラギエースの再戦となった1984(昭和59)年の有馬記念。中山でのシンボリルドルフの異様なまでの安定感はちょっと表現のしようがありません■マイリスト:mylist/10134539(有馬記念名勝負選)
【HD】 2011 JRA CM 安田記念 タイキシャトル
ごめんなさいしないといけないね(´・ω・`)
2011年のCM一覧mylist/25768424
【競馬】1992/ジャパンカップ(GI) トウカイテイオー
【youtube転載】道中は4、5番手をスムーズに追走し、最後の直線坂下で外から抜け出すとナチュラリズムとの競り合いを制し勝利、普段は冷静な岡部が珍しくガッツポーズを上げた。これによりトウカイテイオーは日本競馬史上初の国際GI優勝馬になった。●1着トウカイテイオー●2着ナチュラリズム●3着ディアドクター●4着レガシーワールド●5着ヒシマサル●6着ユーザーフレンドリー●7着レッツイロープ●8着レッツゴーターキン●9着イクノディクタス●10着ドクターデヴィアス●11着クエストフォーフェイム●12着ヤマニングローバル●13着ヴェールタマンド●14着ハシルショウグン●
【競馬】1998年/ジャック・ル・マロワ賞(G1) タイキシャトル
ジャックルマロワ賞(Prix Jacques le Marois)。、タイキシャトルはこのレースでも圧倒的な1番人気となる。レースでは途中まで余所見をしながら走っていたが、最後は追い込んだアマングメンを半馬身抑えて勝利し、海外G1のタイトルを手に入れた。■1着Taiki Shuttle■2着Among Men■3着Cape Cross■4着Miss Berbere■5着Waky Nao■6着Lend a Hand■7着Night Player■8着Marathon■
【競馬】 1998 フェブラリーステークス グルメフロンティア【チョット盛
第15回フェブラリーステークス(1998年)を優勝し、
種牡馬引退後は千葉県芝山町のオリンピッククラブ宝馬乗馬学校にて繁養され余生を送っていた
グルメフロンティア号(18歳)が7月17日(土)、病気のため死亡いたしました。
http://www.jra.go.jp/news/201007/072105.html
にこうまの競馬盛り>mylist/16203513
【競馬】[1986年4月29日]天皇賞(春)クシロキング
【youtube転載】前年の2冠馬ミホシンザンが骨折で離脱したため、主役不在という前評判だった。 その中で、クシロキングは3番人気。これまでの実績から距離不安が指摘されていたためである。 しかし、後半勝負に賭けて、実質マイルの競馬に持ち込んだ名手岡部の完璧な騎乗が光り、クシロキングが戴冠を果たした■1着クシロキング<岡部幸雄>■2着メジロトーマス<丸山勝秀>■3着フリートホープ<猿橋重利>■4着ハクリョウベル■5着シャイニングルビー久■6着ミヤギエコー ■7着スダホーク ■8着ニューファンファン ■9着ラウンドボウル ■10着カネクロシオ ■11着ヒデファミリー ■12着マツノセイザン ■13着クラウンクレイグ ■14着サクラユタカオー ■15着メジロモンスニー ■16着マチカネイシン
【競馬】岡部幸雄氏による有馬記念後編
前回動画sm9897818の続き。おまけ→sm9899471 過去のものmylist/17899546
【競馬】バブルガムフェロー 1997鳴尾記念
多分まだ上がってないレースビデオをちょこちょこあげていく第3弾。
カラ馬ケリソンがちゃんと競馬してたのと、そのケリソンを直線でバブルがかわしていくシーンがなかなか見ごたえがあった。
結構好きなレースの一つです。
単発モノまとめ mylist/11270428
編集モノまとめ mylist/11412916
マイナーなレースばかり保有。
【競馬】[1984年5月27日]東京優駿(日本ダービー)(GI) シンボリルドルフ
【youtube転載】ビゼンニシキとの「SBダービー」と呼ばれた。この2頭の連勝複式馬券は銀行馬券と思われ、今も投票額最高記録を維持している。しかし単勝では1.3倍とシンボリルドルフの圧倒的1番人気だった。■1着シンボリルドルフ■2着スズマッハ■3着フジノフウウン■4着スズパレード■5着ニシノライデン■6着ハーバークラウン■7着オンワードカメルン■8着カミカゼイチバン ■9着ハリケーンアサ■10着メジロクレイバン■11着ダイナミリオン■12着トウホーカムリ■13着マルブツサーペン■14着ビゼンニシキ■15着ケンセツエース■16着ハツノアモイ■17着ワカアロー■18着ラッシュアンドゴー■19着ダイゴウリュウ■20着イブキラーゼン■21着カリスタキング
競馬蔵書目録 第四十二巻 「馬、優先主義 四巻」
次第に日本競馬の国際化が、目標から実体験を伴うものになりつつある頃。いち早く海外での経験を積み、見分を広げてきた岡部さんに時代が追い付いてきたころです。故に、この人の価値が騎乗技術だけではなく、幅広い見識にあるということにも気づくことに繋がります。
1998(平成10年) ステイヤーズステークス インターフラッグ
勝ったインターフラッグよりも、キープザフィールドの橋本騎手が周回数を間違ったとされた方が話題になったレース。本人曰く気合いを入れただけと言ってますが真偽はいかに。個人的には1週目の4コーナーで追い出しをかけているようにも見えなくもないという感じですが。
【競馬】[1989年]安田記念(GI) バンブーメモリー
【youtube転載】連闘で安田記念へ参戦を決定する。無謀な挑戦かと思われたが、鞍上の岡部幸雄の好騎乗や重馬場などの展開にも恵まれ10番人気ながら優勝、初GIタイトルを獲得し、同時に武邦彦厩舎の初GIタイトルでもあった。■1着バンブーメモリー(岡部幸雄)■2着ダイゴウシュール(大崎昭一)■3着ミスティックスター(山田和広)■4着ホクトヘリオス(柴田善臣)■5着ハワイアンコーラル(増沢末夫)■6着パッシングショット■7着ウィニングスマイル■8着コーセイ■9着アイビートウコウ■10着リンドホシ■10着ランドヒリュウ■12着ミスターボーイ■13着トウショウマリオ■14着ダイナアルテミス■15着ケープポイント■16着サクラチヨノオー■17着タケダンジャスミン■18着ミスターホーショー
1996年 マイルチャンピオンシップ ジェニュイン
風を怖がる馬の二度目の戴冠… 少ないですが投稿競馬動画リスト→mylist/25023068
【競馬】1985/ジャパンカップ(GI) シンボリルドルフ
悪天候の重馬場での競走であったが無難にこなし、ジャパンカップ史上初の1番人気での優勝馬となった。2着にも地方競馬代表のロッキータイガーが入り、同じく史上初となる日本馬のワンツーフィニッシュとなった。表彰式で岡部は六冠を示すために手を手綱から離し、指を1本置いた。●1着シンボリルドルフ●2着ロツキータイガー●3着ザフィルバート●4着アリダーズベスト●5着ドーン●6着ナッシボア●7着ギャロップダイナ●8着ゴールドアンドアイボリー●9着セントヒラリオン●10着サクラサニーオー●11着ネメイン●12着ヤマノシラギク●13着バリトウ●14着スピリットオブキングストン●15着ウインザーノット●
【競馬】[1997年]ユニコーンステークス(GIII) タイキシャトル
【youtube転載】ダートでもしっかり強いタイキシャトル。ワシントンカラーもパワーがあって好きだったな(´∀`)■1着タイキシャトル(岡部幸雄)■2着ワシントンカラー(柴田善臣)■3着オースミジェット(横山典弘)■4着フドオー(武豊)■5着テイエムメガトン(菊地昇吾)■6着クイックミスワキ■7着ナモンレグラス■8着ショウナンナンバー■9着シロヤマランディ■10着ビコーライジン■11着クレバーフォーマー■12着サプライズパワー■13着マコトムテキ■14着マコトライデン■15着カネタイラ■16着スターマイサドル
競馬蔵書目録 第二十一巻 「続 馬、優先主義」
円熟期を迎えた岡部さん。我々がよく知る名馬とのコンビも多くなり、その視点はなかなか興味深いものに。
10分ちょっとでわかる【ウマ娘】皇帝の血脈【トウカイテイオー】
みなさんこんにちは!ジャンゴです!
今回は【皇帝の血脈】として活躍した名馬トウカイテイオーの紹介動画となります!
ウマ娘プリティーダービーでは"皇帝"シンボリルドルフに強い憧れを持ち、自分は"帝王"になるため、無敗の三冠制覇を目指しているウマ娘として活躍しました!
12戦9勝(2着0回、GⅠ4勝)
1990年
00:23 3歳新馬 1着
シクラメンS(OP) 1着
1991年
01:04 若駒S(OP) 1着
若葉S(GⅠ) 1着
01:48 皐月賞(GⅠ) 1着
02:56 日本ダービー(GⅠ) 1着
1992年
04:26 大阪杯(GⅡ) 1着
05:10 天皇賞春(GⅠ) 5着
06:16 天皇賞秋(GⅠ) 7着
06:57 ジャパンC(GⅠ) 1着
08:06 有馬記念(GⅠ) 11着
1993年
09:13 有馬記念(GⅠ) 1着
10:41 トウカイポイント
10:47 ヤマニンシュクル
10:52 ストロングブラッド
11:02 クラウドファンディング(クワイトファイン)
トウカイテイオーのWikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%82%A6%E3%82%AB%E3%82%A4%E3%83%86%E3%82%A4%E3%82%AA%E3%83%BC
Twitter→https://twitter.com/_jangod
#ウマ娘 #プリティダービー #トウカイテイオー #競馬
【競馬】1986年サンルイレイS シンボリルドルフが参戦
ようつべで拾いました。シンボリルドルフのラストランです(´・ω・`)サンタアニタ競馬場のサンルイレイステークス(GI)に出走し、次にサンファンカピストラーノハンデキャップに出走する予定だった。しかし迎えたサンルイレイステークスではダハールの6着に敗れた。コースの特徴でもあるダートコースを横切る場所で左前脚繋靭帯炎を発症したことが敗戦の理由とされ、その日のテレビではNHKをはじめ各局がニュースなどでシンボリルドルフの故障、敗戦を報じた。
1984年(昭和59年) 日本ダービー シンボリルドルフ
御大追悼あげ。他の動画で語られてるとおり、このレースではルドルフの行きっぷりが悪く、鞍上の岡部が焦りだし早めのスパートを試みるもルドルフはそれに応えない。周りの人間がひやっとする中、ルドルフは自分でペース配分をし、自ら仕掛けて涼しい顔をして直線で楽々先頭に立ち完勝するのである。 故野平祐二師曰く「競馬に絶対はないが、ルドルフに絶対はある」