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【神道シリーズ】第65回・八百万の神⑳愛宕信仰【後編】(柱松・松上げ・松明)信仰の中心は今も地蔵菩薩尊
明治政府は、愛宕信仰の中心であった愛宕山別当の白雲寺を破壊し、そこに新たに愛宕神社を新設し、幕末頃より火伏せ繋がりで仏教の三宝荒神が愛宕大権現と習合したところから、国学者たちが三宝荒神を火繋がりでカグツチに比定していたことから、祭神をカグツチとその母(??)である伊弉冉、および、愛宕山にはまったく縁もゆかりも無い古事記の神を三神祀り、古くから地蔵信仰を中心とした愛宕大権現信仰を否定しようとしましたが、しかし、地域に深く根付いていた愛宕山信仰は地蔵信仰と火伏せ信仰を中心としており、明治以降も祭祀は破壊を免れた月輪寺(天台宗)や清凉寺(浄土宗)や神護寺(旧・神願寺>真言宗)、金蔵寺(真言宗)などによって引き継がれ、第二信仰圏ともいえる丹波・丹後・若狭・但馬にまで広がり、そうした地域では今でも寺院を中心とした修験行事である松上げ(松明投げ祭)や験競らべなどが行われている。
【神道シリーズ】第64回・八百万の神⑲愛宕山大権現【前編】(明治の弾圧を跳ね返して今日まで続く愛宕信仰)
愛宕山信仰とは、8世紀に役小角と白山信仰創設者の泰澄による開山と言われてはいますが、実際には781年に僧都・慶俊(法相宗)による開山だとされ(「雍州府史」)、さらに、和気清麻呂による愛宕五山寺(白雲寺・月輪寺・神願寺・日輪寺・伝法寺)の創建により愛宕大権現が祀られた、とされています。
9世紀に天台宗が愛宕さんに進出すると、愛宕山の山頂に位置する白雲寺が天台宗の傘下となり、さらに愛宕山の別当(支配管理職)に任命されると、6つの院(かつて皇族が住職を務めたことがある寺院のこと)によって運営されてたこの白雲寺が実質的に愛宕山信仰の中心となりました。
さらに、この愛宕山は戸隠信仰(飯綱大明神・真言系)の影響で天狗信仰が生まれ、「愛宕太郎坊」として日本の天狗信仰の中心ともなります。
天狗信仰は、真言宗系の当山派修験が中心となり、戸隠・飯綱・高尾山・秋葉山・愛宕山と、稲荷大明神(真言密教に基づくダキニ天の白狐に乗った仙人)のイメージが重なり、「白狐・烏天狗」と「勝軍地蔵・不動明王・毘沙門天信仰」を共有する一大「天狗信仰ネットワーク」を形成しました。