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競馬蔵書目録 第三十四巻 「口笛吹きながら」
ミスターベースボール、ミスタープロレス、ミスターどうでしょう…。様々な分野にミスターと呼ばれる人がいますが、競馬界でもミスター競馬と呼ばれた方が存在するのです。
1967年第55回天皇賞・春 スピードシンボリ
第55回 1967年4月29日 スピードシンボリ 牡4 3:24.2
騎手 野平祐二
調教師 野平省三
馬主 和田共弘
出走馬における その他の八大競走優勝馬カブトシロー
1968年第57回天皇賞・春 ヒカルタカイ 八大競走史上最大着差で勝利
第57回 1968年4月29日
1着 7枠 7番 ヒカルタカイ 牡4 58 3.24.61人
騎手 野平祐二
調教師 藤本冨良
馬主 長山善健
備考
八大競走では最大となる2.8秒の着差(17馬身差と言われる)を付けて優勝した。
尚、実況では最低人気のタイヨウと5番人気のヤマニリュウの2着争いが接戦だったため、ヒカルタカイのゴール前に2着争いの実況に切り替えている。
4着馬は皐月賞馬ニホンピローエース
1970年第15回有馬記念
第15回 1970年12月20日 スピードシンボリ 牡7 2:35.7 騎手 野平祐二
調教師 野平省三
馬主 和田共弘
1969年第14回有馬記念
第14回 1969年12月21日 スピードシンボリ 牡6 2:35.1
騎手 野平祐二
調教師 野平省三
馬主 和田共弘
【競馬】20世紀の名馬100 第33位 スピードシンボリ
野平さんの孫と同級生でした。
豪邸に住むおぼっちゃんでしたな・・・。よく遊びにいったものです。
単発モノまとめ mylist/11270428
編集モノまとめ mylist/11412916
【競馬】[1969年]有馬記念 スピードシンボリ
【youtube転載】長期遠征による衰弱が著しく、ここで一旦は引退も検討された。しかし放牧に出された先で精気を取り戻し、現役続行が決定。当初の予定通り有馬記念に出走した。当日は6番人気と低い評価だったが、この年の菊花賞優勝馬アカネテンリュウとの競り合いをハナ差制し、4度目の挑戦にして初の有馬記念優勝を果たした。■1着スピードシンボリ(野平祐二)■2着アカネテンリュウ(丸目敏栄)■3着ダイシンボルガード(大崎昭一)■4着メジロタイヨウ(横山富雄)■5着ニットエイト(郷原洋行)■6着フイニイ■7着ハクエイホウ■8着タケブエ■9着ライトワールド■10着マーチス■11着アタックブルー■12着メイジアスター■13着ダッシュリュー■14着ギャロップ■15着リュウズキ
【実況】1984年、フリーターは馬主になった。その46
野平 祐二 1928年3月20日 - 2001年8月6日 千葉県船橋市古作出身。騎手としても調教師としても成功し「ミスター競馬」と呼ばれた。1959年12月12日オーストラリアで海外のレースにおける日本人騎手初勝利を飾る。調教師時代には皇帝シンボリルドルフを管理した。2004年、騎手顕彰者に選出。 その45→sm6646226 その47→sm6691278 マイリスト→mylist/10683340
【競馬】第15回 有馬記念 1970年(スピードシンボリ)
前年の1・2着馬スピードシンボリ・アカネテンリュウに天皇賞(秋)を制し連勝を狙うメジロアサマ、ダービー2着・菊花賞1着で世代の頂点に立ったダテテンリュウが参戦する豪華メンバー。淀みない流れながら一団でレースが展開します■サムネは1周目ゴール板付近。5頭写っていますが、左からアローエクスプレス(4着、鞍上は若き日の柴田政人騎手)、1頭置いてダテテンリュウ(3着)、スピードシンボリ(1着、緑色の勝負服・黄色の帽子)、アカネテンリュウ(2着)です。場内実況は日本短波放送(現ラジオNIKKEI)の長岡一也アナ■ちなみに公式の勝ちタイムは2分35秒7となっていますが、この映像では2分42〜3秒くらい掛かっています■マイリスト:mylist/10134539(有馬記念名勝負選)