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高峰三枝子・山口淑子・笠置シヅ子
■高峰三枝子 純情二重奏 1939年 with霧島昇 → 0:00 ■山口淑子(李香蘭)孫悟空挿入歌 1940年 → 3:23 ■山口淑子(李香蘭)私の鶯 1943年 → 6:43 ■笠置シヅ子 東京ブギウギ 1947年 → 10:36 ■笠置シヅ子 買い物ヴギ 1950年 → 13:37 美空ひばり12歳から15歳まで→sm7378798
ミクさんの弾き語り「湖畔の宿」(高峰三枝子)
下のおっさんホイホイ系マイリストの中からの選曲です。
我が家のdrakミクさんV3に歌って貰いました。1940年(昭和15年)
イラストはピアプロの 姫埜さんよりお借りしました。有り難う御座います。(http://piapro.jp/t/KwJW)
(マイリス支援)おっさんホイホイ系ボカロカバー集
この曲のオリジナルはこちらから→sm15849794 支援の支援→mylist/21570162
VOCALOIDで聴く歌謡曲大全集1→mylist/13847823
上のマイリスで曲被り分→mylist/18785206
マイリストmylist/4654241
高峰三枝子 - 情熱のルムバ
1950年映画『情熱のルムバ』より。小生、戦時中から高峰三枝子の歌唱が好きだった。松竹の大女優さんじゃ・・・あぁ若い人には「3時のあなた」の・・・って言ったほうが判るかのう....(′д`)=3=3ゲフン... 当時発売のレコードの音源に差し替えてみた。
高峰三枝子 - 南の花嫁さん
松竹の大女優、高峰三枝子さんの昭和17年の流行歌。ニコ動には当時三枝子さんの後援倶楽部に入会してた人も多いのでは・・・と推測するのじゃ
(′д`)=3=3ゲフン......
高峰三枝子『南の花嫁さん』北京語版01…鳳飛飛「幾度花落時」
70年代までに台湾や香港で大量に出現した日本のカバー曲は、ほとんどが勝手にカバーしたものですが、珍しくその逆のケースが高峰三枝子が1942年に歌った『南の花嫁さん』。古賀政男作曲ということになってましたが、もとは中国の任光が35年に作曲した歌詞のない民族音楽の演奏曲『彩雲追月』で、上海に行った古賀政男が歌謡曲にアレンジして作ったのが『南の花嫁さん』。一方で、任光は共産党軍に入って抗日戦争に参加し、41年に国民党軍との戦闘で戦死。戦後『南の花嫁さん』は台湾語カバーが出ましたが、69年に北京語版の「幾度花落時」が中華圏で大ヒット。現在では日本でも任光作曲ということになりましたが、台湾では林礼涵という謎の人が作曲したことになってます。任光は共産党軍の兵士だったから、名を伏せた?
必殺渡し人clip【番宣風】
必殺シリーズ第20弾、必殺渡し人の1話から4話をまとめました。
ホント殺しのテーマは秀逸ですなぁ。
必殺仕切人はsm25469329
高峰三枝子『湖畔の宿』台湾語版1…顏華「湖畔之宿」
『湖畔の宿』は1940年のヒット曲で、高峰三枝子が日本軍の慰問で人気を博した歌。台湾では戦後、台湾語版の「湖畔之宿」や「再会啦初恋」、北京語版の「旧夢難收回」などのカバーが出てます。
高峰三枝子『湖畔の宿』台湾語版2…郭金発「再会啦初恋」
『湖畔の宿』は1940年のヒット曲で、高峰三枝子が日本軍の慰問で人気を博した歌。台湾では戦後、台湾語版の「湖畔之宿」や「再会啦初恋」、北京語版の「旧夢難收回」などのカバーが出てます。「再会啦初恋」のタイトルを訳せば、「さらば初恋」。
高峰三枝子『湖畔の宿』北京語版…陳盈潔「旧夢難收回」
『湖畔の宿』は1940年のヒット曲で、高峰三枝子が日本軍の慰問で人気を博した歌。台湾では戦後、台湾語版の「湖畔之宿」や「再会啦初恋」、北京語版の「旧夢難收回」などのカバーが出てます。
高峰三枝子『南の花嫁さん』広東語版05…郭炳堅「情人究竟在那方」
70年代までに台湾や香港で大量に出現した日本のカバー曲は、ほとんどが勝手にカバーしたものですが、その逆のケースが高峰三枝子が1942年に歌った『南の花嫁さん』。古賀政男作曲ということになってましたが、もとは中国の任光が35年に作曲した歌詞のない民族音楽の演奏曲『彩雲追月』で、上海に行った古賀政男が歌謡曲にアレンジして作ったのが『南の花嫁さん』。一方で、任光は共産党軍に入って抗日戦争に参加し、41年に国民党軍との戦闘で戦死。戦後『南の花嫁さん』は台湾語カバー「可愛的新娘(sm24276467)」が出ましたが、69年に北京語版の「幾度花落時(sm24273161)」が中華圏で大ヒットし、以降は北京語や広東語のカバーが無数に出ています。郭炳堅はマレーシアの歌手で、70年代に広東語のコミックソングで人気だった人。
高峰三枝子『南の花嫁さん』広東語版06…張偉文「情人究竟在那方」
70年代までに台湾や香港で大量に出現した日本のカバー曲は、ほとんどが勝手にカバーしたものですが、その逆のケースが高峰三枝子が1942年に歌った『南の花嫁さん』。古賀政男作曲ということになってましたが、もとは中国の任光が35年に作曲した歌詞のない民族音楽の演奏曲『彩雲追月』で、上海に行った古賀政男が歌謡曲にアレンジして作ったのが『南の花嫁さん』。一方で、任光は共産党軍に入って抗日戦争に参加し、41年に国民党軍との戦闘で戦死。戦後『南の花嫁さん』は台湾語カバー「可愛的新娘(sm24276467)」が出ましたが、69年に北京語版の「幾度花落時(sm24273161)」が中華圏で大ヒット。「情人究竟在那方」を訳せば「恋人は一体どこに」。タイトルが同じで歌詞が違う曲(sm26950965)もあります。
高峰三枝子『別れのタンゴ』北京語版2…黄曉君「離別的探戈」
『別れのタンゴ』は1949年の映画主題歌。北京語カバーは台湾で「那一天再相見(sm27079422)」が出ましたが、シンガポールで出た「離別的探戈」は原曲のタイトルそのまんまの直訳。歌ってる黃曉君は、1970年代に活躍したマレーシア出身のシンガポールの歌手。