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91式携帯地対空誘導弾 4/4 1990年 湾岸危機と「新個人携帯SAM」
1990年8月2日、「新個人携帯SAM」は優秀な成績を残し実用試験を終えた。 一方、8月中旬に予定されていた某機甲科部隊のスティンガー射撃が急遽、無期延期となった。 そして静内にこんな噂が流れた。「米軍が日本国内のスティンガーを回収しているらしい。」 湾岸危機が起きて間もないころだ。米軍はもう戦争の準備をしているのか・・・。 6月になってスティンガー射撃が実施される。 噂はなんだったのか。 1990年、湾岸危機に際して日本は何が出来るのか世界から問われていた。 もし来る戦争でスティンガーが不足したら「新個人携帯SAM」を供与する事も考えられていたのではなかろうか。 しかし湾岸戦争は多国籍軍の勝利で終わり、スティンガーが不足する事はなかった。 前 sm15619068 mylist/27044730
91式携帯地対空誘導弾 3/4 見ろ!! 標的がゴミのようだ!!
1990年7月27日から28日まで3回連続ダイレクトヒットという驚異的な命中精度を記録する「新個人携帯SAM」。 しかし低気圧が近づいてきており、7月29日は曇天のもとで試験が行われた。その結果2回ともダイレクトヒットに至らなかったが、標的機の直近で交差しており、命中と判定できるレベルであった。低気圧により、しばらく射撃できない状態が続いた。監視船と標的機回収船を東静内漁業協同組合から出してもらっている。漁組が「この波じゃ船は出せない」と言えば射撃はできないのである。日が詰まってきた8月1日、曇っていたが午後に船を出せる波の状態にはなった。遅れを取り戻すため、1日に3回の射撃を強行した。 前 sm15612949 次 sm15621040 「こいつ、動くぞ」 mylist/27044730
91式携帯地対空誘導弾 2/4 世界初のイメージホーミングミサイル
標的機を運用しているのは、第一高射特科団(東千歳)隷下部隊である第101無人偵察機隊(静内)であり、彼らは夏期約2ヶ月半、冬期約2ヶ月半、合わせて1年のうち5ヶ月もの間、対空射撃支援を実施しています。 この動画は第101無人偵察機隊が創隊してまもない頃の、あまり知られていない彼らの日常を記録したビデオを編集しています。 前 sm15612076 次 sm15619068 「こいつ、動くぞ」 mylist/27044730
陸自 対空射撃ダイジェスト (ユニコーン) 4:3画面PC向き
ガンオタではないですが、BGMとサムネはユニコーンより。 標的が無ければ射撃訓練にならない。 前半は標的部隊がメイン。 静内対空射場では、東静内漁業協同組合の協力により、標的機回収船の他、2隻の監視船も出してもらっています。 ここで射撃する 81式短SAMの弾頭には少量の火薬しか搭載しておらず、VT信管作動後に破壊された弾体が標的機に直撃する事は滅多にありません。 逆に 91式やスティンガーのような携帯SAMは弾頭が小さいためVT信管は使用していません。91式携帯SAMは世界初のイメージホーミング(画像認識追随)ミサイルです。 このイメージホーミングの実証のため標的機を実際の軍用機や軍用ヘリの色に近いOD(オリーブドラブ)色に塗装したものが使われました。 mylist/27044730
自衛隊 幻の無人偵察機 チャカーR
高速標的機 BQM-74C「チャカーⅡ」の偵察型がノースロップ社によって開発された。 陸上自衛隊はそれを導入し、第301無線誘導機隊は第101無人偵察機隊へと変貌する。 自衛隊で 300番台の部隊名は中隊規模、100番台の部隊名は大隊規模を表す。 自衛隊初の無人偵察機部隊の誕生となったが、このチャカーRは2機だけしか運用されなかった。 上級部隊である第一高射特科団の当時の団長は訓示でこう述べた。「無人偵察機隊をどう運用したらいいのか分からない。」 それはそうだ。高射特科部隊が無人偵察機をどう使えというのか。 運用すべき部隊職種が違うといえた。 1989/9/19 撮影 mylist/27044730