さて、樋田君は、寿円日仁が若い頃と、要法寺貫主になった後で考え方が変わってしまったと何の根拠もなく決めつけ、若い頃は常在寺などで大石寺の教学を研学中だったから、法兄・日俊が日仁と共に板本尊施主として名を連ねても問題はなく、また後年貫主になった後は造読思想家となってしまい、大石寺を蔑視・憎悪していたので、百六対見記は正資料として採用できない、と主張している。しかし...、
http://www.nicovideo.jp/watch/sm15169394