転載昭和14年3月、山砲兵第三十三聯隊第六中隊に転属。昭和16年5月8日、中原会戦に参加中、山西省曲沃県で受傷。臨汾の陸軍病院で右足の切断手術を受けた。内地還送となり、臨時東京第一陸軍病院で8ヶ月にわたる療養生活が始まった。戦後、足が不自由な夫とともに、妻も精一杯に働いた。証言者にとって人生で一番嬉しかったのは、自動車免許取得であった。次女は、様々な苦労を乗り越えた両親を、人生の目標として子供たちに語られるという。
http://www.nicovideo.jp/watch/sm19178838