オリヂナル・弾き語りアングラフォーク◎クラウン人形

オリヂナル・弾き語りアングラフォーク◎クラウン人形

◎森田童子について 私はその頃、四度目の家出をして大阪にある「三■荘」という木造モルタルの下宿に住んでいた。共同玄関で炊事場、便所ともに共同で、恐らく赤線が張られる以前は遊郭として使われていたものと思われるが、私はそこの二階の三畳一間を月二万で借りていた。もちろん不動産屋は介入しておらず敷金礼金も無く、自分でも上手いこと潜り込んだなと感心しているぐらいであった。 森田童子を知ったきっかけは丁度、アルバイト探しと称して、大阪見物に出掛けた矢先だった。梅田に在るレンタルCD屋で何か求人の張り紙でもないかと這入ってみると、友部正人や友川カズキ、三上寛、浅川マキ、また東京キッドブラザースや天井桟敷といった実験演劇を主とした劇団の名前がズラリと並んでいた。要するにそこは、ただのCD屋でなく、70年代日本アングラ音楽専門店だったのである。そうしてその目録の中に「森田童子」という名前もあったのだった。(それから後に、私はその「森田童子」という名前をもじって「毬田わらぢ」と名乗り始める程、心底彼女を溺愛することとなる)夏時で、「三■荘」の大家に借りた旧型の扇風機を廻しながら、夕暮れ時の西陽が射す三畳一間の部屋の中で寝転びながら『さよなら ぼくのともだち』を聴いている時「ああ、これは俺のことを唄った歌だな」と汗ばんだ前髪を拭いながら思ったのを、私は今でも憶えている。 森田童子という人物像はサングラスにソバージュヘアーで私はあの格好は彼女なりの変装だと推測している。昭和58年に彼女は病気で亡くなってしまったと噂が有ったが、くしくもそれは先日知らされた彼女の訃報でただのデマ話だと判明した。けれども私にとってそれは森田童子を演じていた彼女の死であり、森田童子はやはり昭和58年に一度死んでいるのだった。つまり彼女は二度死んだ歌手であり、役者であり、専業主婦でもあった。 森田童子は僕ら地下室=アングラのアイドルであり、彼女の声は透き通る深夜の静まり返った雪の降る音にとてもよく似ていた。作詞作曲・演奏歌唱◎毬田わらぢ

http://www.nicovideo.jp/watch/sm33385590