天皇陛下 側近トップの日記に初の被災地訪問の内幕

天皇陛下 側近トップの日記に初の被災地訪問の内幕

2018年12月25日 5時04分天皇陛下が20代の頃に初めて被災地を訪問されたいきさつなどを記した当時の側近トップの日記が見つかりました。発生5日後の被災地入りの検討など訪問の内幕が記されていて、専門家は「天皇陛下が今の被災地訪問のスタイルを確立する前の模索の様子が見て取れる貴重な資料だ」としています。見つかったのは昭和32年からおよそ20年間皇太子時代の天皇陛下の側近トップを務めた鈴木菊男元東宮大夫の日記です。日記には5000人あまりが犠牲となった昭和34年9月の伊勢湾台風で、当時25歳だった天皇陛下が初めて被災地を訪問されたいきさつなどが記されています。鈴木は台風上陸の2日後の9月28日に愛知、岐阜、三重の3県のお見舞いについて「1、2、3の三日の予定にて」と記していて、当初、発生からわずか5日後の訪問が検討されていたことがわかります。現地はまだ救援活動のさなかで、平成に入ってからの阪神・淡路大震災の14日後の訪問などと比べても、かなり早い訪問が検討されていました。天皇陛下は結局発生8日後から2日間の日程で被災地を訪問されましたが、鈴木の日記や宮内庁の内部資料によりますと、上空からの視察だけの予定が急きょ変更され名古屋や三重などで被災者を直接見舞うことになりました。このうち名古屋市内では小学校を訪ねましたが、天皇陛下が正座した子どもたちの前で立ったまま言葉をかける映像が残っていて、床にひざをついて被災者と同じ目の高さで話しかけられる今のスタイルとは異なっていたことがわかります。その27年後、昭和61年にはじめて皇后さまとともに伊豆大島・三原山の噴火の被災者を見舞った際の映像では、同じ目の高さで被災者に言葉をかけられる姿が記録されています。日本近現代史が専門の長野県短期大学の瀬畑源准教授は、「こうした被災地訪問のスタイルは伊勢湾台風での経験のあと美智子さまの力も得ながら象徴のあるべき姿や国民との距離の縮め方などを考え模索を重ねる中で培われてきたものだろう」と分析しています。

http://www.nicovideo.jp/watch/sm34440376