童謡「ねこふんじゃった」の倫理観及び民衆への影響

童謡「ねこふんじゃった」の倫理観及び民衆への影響

言葉というもの。それは物事を区別し周りと意思疎通を図るために、ある方が便利で都合が良いからという理由で作られ存在している。ジュレと飴の違いは誰に聞くまでもなくわかるだろう。だが、本当に彼らは違うものだろうか。ジュレも飴も50%以上は同じ素材から作られている。いや、元素レベルで考えればもう同じものとみて差し支えない。味に関しても、ジュレも飴も色々ありすぎてこの味がそれだというものがない。甘ければジュレ、甘ければ飴。人々はそう考えている。ここに両者の区別はない。色を見てみよう。両者とも物によって様々であり、総じて美しい。つまり同じだ。ここまで両者に違いがないとすればとジュレと飴で明確な違いがあると妄信していた自分がバカに思えてくるだろう。ジュレと飴は同じものである。一般的に考えたら別のものとなるかもしれないがそれは"一般的に"考えたら、というだけだ。要は誰かの基準で恣意的に区別した言葉を我々は使っているだけなのだ。ほかの基準を持ってくればそれはまた意味も違ってくる。私という基準でみたらそれは同じものなのだ。いや、私に言わせればジュレも飴もご飯もケチャップも車も宝石も同じものなのだが。全ての意見はどれも正しいし間違っている。一人一人の基準で物事を話したのならそれはその人にとって正しい。社会一般的な物事の在り方だけに頼っていても世界は広がらない。人々はもっと一人ひとりの価値観を大切にすべきだ。さて、世の中では様々な価値観を受け入れるべきという考えが広がっているが、その風潮の恩恵を受け入れられるならこの考えも社会に受け入れてもらえるのだろう。とてもわくわくしている。この動画がアップロードされたあかつきには私は世界中の人から尊敬され賞賛を浴び、あるいは畏怖され怯えた視線を向けられるだろう。私はこれから、使いきれないほどのお金と多くの従者に囲まれ、広大で煌びやかな豪邸に住み、豊かで華やかな日々を送るのだ。だって、私はこの動画で世界を征服したのだから。料理動画まとめ: mylist/66935673

http://www.nicovideo.jp/watch/sm36943935