ボリス・グートニコフ独奏、上田仁指揮、フィルハーモニー交響楽団(СО / ムラヴィンスキーのЗКРではない方)による演奏。1958年10月18日、レニングラート国立フィルハーモニー大ホールでの録音。第2楽章#09:49 第3楽章#20:49上田仁は1958年10~12月にソ連中を巡る単身の演奏旅行を行い、これはその初日の演奏会の記録。レニングラートには1958年10月18日と19日に登場して、渡邊浦人の野人、協奏曲(18日はグートニコフとのモーツァルトの5番、19日はソーシナとのチャイコフスキーの1番)、プロコフィエフの交響曲第7番の3曲を指揮。日本人指揮者としては山田耕筰(1931年&1933年)と近衛秀麿(1931年)以来3人目のレニングラート国立フィルハーモニーへの登場上田仁のこの公演の感想ぼくがボリス・グトニコフの名を知ったのは、1958年のソヴィエト演奏旅行のときだった。ゴスコンツェルトという演奏のスケジュールをたててくれるところがあって、そこで作られた計画にしたがってレニングラードにおもむいたとき、グトニコフというヴァイオリニストとの協演がきまっていた。それまでは、ぼく自身まったく耳にしなかった名前である。ところが、いっしょに演奏してみて驚いた。まず音がすばらしくきれいなのである。きれいだなどと月並みないい方が悪ければ清潔といってもいい。メカニズムがしっかりしていることは勿論のこと、その上音楽が立派なのである。とくにヴァイオリニストは十人十色の音色をもつのだが、彼以上に美しいやわらかい音と、人格からにじみ出た上品な音楽、この両方をもっているヴァイオリニストに、ぼくはグトニコフを除いて出会ったことがない。※グートニコフは世界青年学生祭典(53年 ブカレスト)、プラハの春国際音楽コンクール(56年)、ロン=ティボー国際コンクール(57年 パリ)、チャイコフスキー国際コンクール(62年 モスクワ)で全て第1位に入賞編集能力ゼロのためLP音源の未編集生データをそのままupしています。拍手は元からなしです。