『楠木正成』『楠正成』どちらが正解?の疑問にお答えします ~『楠木・楠』論争への下らぬ誘導こそ、戦後自虐史観の歪みの現れ~

『楠木正成』『楠正成』どちらが正解?の疑問にお答えします ~『楠木・楠』論争への下らぬ誘導こそ、戦後自虐史観の歪みの現れ~

古典『太平記』には「楠正成」と表記されているが、しかし、そのほとんどは写本。正成に関する最古の文書たる東大寺領播磨大部荘『東大寺文書』の中では「楠木」と表記している事から、湊川神社の公式基準として「楠木」を使用している。一方、正成公嫡男戦死の地として楠公ブームに沸く四條畷市では、「楠」の一文字を採用。よく頂く質問として、「結局、『楠木と楠』どちらが正しいのか?」というご意見が当方へ寄せられるが、結論として、「どちらも正解」が正しい。これは氏姓制度に立ち返り、そもそも、『氏』と『姓』の本義を知らねばならない。日本民族は皆、天孫降臨民族であり、民族の元祖は天照大御神にある。やがて、皇祖神の裔たる瓊瓊杵尊が日本国土に降臨し、皇孫同族の血脈は、男系血脈たる皇室を主筋に奉り、末広がりに広がっていった。同一民族が枝葉に広がっていく、ある一過程に於いて、それぞれの血脈の祖となる一族の長が『臣、 連、伴造、国造、県主、源平藤橘』等の『氏』を皇祖神、又は天皇から下賜されていった。『氏』とは、単に同族血脈集団というのではなく、いずれの祖神からの霊統を継承しているのかという事を示す事が、その本義である。更に、枝葉となるに従い、同族血脈集団が大きくなり、やがて、同族の区別がより緻密に判別でいるよう『姓』が誕生していく。いずれにせよ、『氏姓』の始まりは朝廷から下賜された『氏』にあり、『氏』を尊重する事が列記とした日本民族の証という事であり、『姓』成立後もそれは仮称に過ぎず、本称は『氏』を表記する仕来りは継承され、『氏』の方が正式なものとして重んじられた。朝廷の文書や寺社への奉納に際して、『氏』を自署するのはこの為である。であるから、例えば、正成の場合、正式には『橘正成』であり、正成自身も、署名に際して『楠木』『楠』のいずれも使用せず、『橘正成』と自署しているのは、日本の慣習に従えば当然の事である。所詮は『楠木』にせよ『楠』にせよ、「姓」に過ぎないので余り重視されず、元来、日本に於ける漢字とは宛字に過ぎぬので、その漢字が『クスノキ』と読めれば、如何なる漢字を宛てがおうが何ら構わないのである。それなりに知識ある歴史学者であればこの程度の知識は当然備えているにも関わらず、何故、戦後の学者までもが『楠木』『楠』論争に首を突っ込むのか。それは、正成の勤皇の節に殉じた忠臣たる姿から目を背けさせる為である。『悪党』論争については言うに及ばず。『悪党』云々については余りにバカバカしくはあるが、戦後はかような愚説が歴史学会を席巻してしまっているので、後日、お話しさせて頂くが、いずれにせよ、楠木正成とは、戦後の自虐史観の煽りを受けて貶められた最たる人物であると言える。

http://www.nicovideo.jp/watch/sm37477787