ふうと伝次平さま 赤城南麓草刈日和

ふうと伝次平さま 赤城南麓草刈日和

 上毛かるたの「ろ」は「老農 船津伝次平」です。伝次平翁は天保3年(1832)富士見村に生まれました。幼少から青年期の名は市造。原之郷の名主を務めた家柄でした。幕末から明治維新を経て明治31年に亡くなるまで群馬はもとより我が国の農業の発展に功績を残した人です。この歌はそんな県民の誇るべき伝次平さまと空っ風ふうが、初夏の日に赤城山の草刈りに行くという設定です。伝次平さま(市造さま)は和算塾で若くして免許皆伝を受けた秀才。そして作物やお蚕の飼育も大好きで、のめりこんでく実験魔。今でいうところの「オタク」です。人間界と神仏の世界をふらふら漂う空っ風ふうは、オタクの市さまが大好き。赤城南麓の草刈りは、当時の若者たちにとってけっこう楽しいイベントだったようです。ときに女の子たちなども連れ立って、お弁当持ちで出かけて行ったそうです。<歌詞の解説>小満・・・立夏から十五日目で、陽暦五月二十一日ごろ。旧暦では四月中。「稽古事は冬春の両季にてなせ。書物は小満より白露(旧暦9月8日)候までは封じ置くべし。暑中は實業一途に勉励せよ。」これが原之郷の船津家の家訓であったといいます。ですから市造さまが和算塾に通うのも小満まで。その後は農業が本格的に始動するのです。空っ風ふうは市造さまを雲に乗せてドライブしたいのです。赤城山のほうに向かう市造さまをなんと妙義の丁須岩あたりまで連れまわしてしまう物語です。えんどう豆のお話は、伝次平ファンならよく知っています。えんどう豆の種を撒いても、そのいくつかは土の上に飛び出る、と言われていて、伝次平翁はそれを見るために一晩中畑にしゃがんでいたのだそうです。月の晩に空っ風ふうがその実験のお相手をしたという場面。釈迦というのは市造さまが飼っていた馬。光が躍る石の上というくだりは、有名な「石苗間」を発見した一件です。この草刈りに行った日、若き伝次平翁は、草場の大きな石の横の榧の木がみごとに茂っているのを見て、石の放射熱が食物をそだてると推論したのです。大きな石の体積など計算しながら。次の年には茄子がたくさんなるように石を置いて農場で実験したのです。お弁当を広げようという瞬間、オタクの市さまは心ここにあらず状態になってしまったというわけです。「よいじゃないんね」というのは群馬の方言です。たいへんね。手間とらせるんね。という意味。明るく底抜けに能天気な感じが出ている歌にしたかったのですが・・・今は昔の、楽しい赤城南麓の草刈日和の雰囲気が伝えられたらいいと思います。 緻朽淋

http://www.nicovideo.jp/watch/sm37619575