シーイーの古都京都巡り 第5回の補足 東京の金地院

シーイーの古都京都巡り 第5回の補足 東京の金地院

京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、独自の視線での紹介動画になります。今回は第5回目の補足動画にて「東京都の金地院」です。徳川家康は、徳川家の宗教顧問である「以心崇伝」を重用し、彼は「黒衣の宰相」という異名があるほどでした。崇伝が京都の南禅寺の塔頭「金地院」の住職となると、「江戸城内にも建立しなさい」の命により、城内寺院として建立されました。その後、家康は自身の死期が近いと思った際に遺言を作成。崇伝は遺髪を供養する役目となりました。家康の没後、京都の金地院に家康の廟所が設けられるまで、当寺院で供養となり、京都東照宮が落成すると、遺髪が移されました。家光の代になると、金地院が城外へ移設する事となり、現在の場所に引越しとなりました。こんな背景の寺院です。

http://www.nicovideo.jp/watch/sm38083152