【神道シリーズ・シーズン2】第21回・吉川神道(吉田神道陰陽論と朱子学力説のフュージョン)

【神道シリーズ・シーズン2】第21回・吉川神道(吉田神道陰陽論と朱子学力説のフュージョン)

吉田神道吉田家の萩原兼従より吉田神道第54代の道統を継いだ魚屋出身の吉川コレタリは、吉田家出身ではない惟足をよろしく思わない吉田家の反発をよそに神道理論の奥義を深める研鑽を続けたが、時のはやりの朱子学の理気学説に影響を受け、やがて両者を統合するような独自の神道理論を確立し、吉川神道として吉田家とは断絶した。しかし、独自神道理論とは言え、ベースは伊勢神道や吉田神道のような道教理論に基づく混沌からの万物発生論であり、そこに朱子学理気論を接ぎ木して朱子学的な陰陽五行説で日本書紀の神代巻を解説しようとしたのが吉川神道である。理気学神道を唱える一方で、伊勢神道、吉田神道の流れで一貫してる心の内清浄、つまり正直な心が神と一体化する道だと説く真言密教さながらの即身成仏論を彷彿させる論理は吉川神道の底辺を流れており、吉川惟足はこの正直な心なるものを陰陽五行説で強引に儒教徳目でもっとも重視される敬に結び付け、さらには真言密教の即身成仏を彷彿させるような神人合一、つまり神と人は敬を通じて一体化するという論理に至った。吉川神道の目指したところは、最高絶対神である国常立と人は、自然と湧き上がる国常立への至上と言われる感謝と敬の気持ちがこの絶対神の末裔である天皇を敬う気持ちに繋がるのだと結論づけることで、実はこの論理の飛躍が彼の神道論全体に大きな矛盾を生むこととなる。一方で人は自然と絶対神の末裔たる天皇に敬の気持ちを抱くとしつつ、一方では不徳の天皇は追放されても当然であるという所謂放伐論が共存し、絶対真理たる朱子学の理ともいえる国常立の子孫ながら不徳の者がいるのかはまったく説明されていない。吉川神道では和歌を声を上げて読むことにより人と神は一体となることができるとしたが、実は後に国学者たちが和歌の研究に力を入れ、そこから純日本を発見しようとした動きはこの頃から端を発していると言われる。一方吉川神道の天皇放伐論はその後の儒学や国学にも大きな影響を与えることになった。

http://www.nicovideo.jp/watch/sm38316822