結月ゆかりによる 水雷艇カラタフィーミの決断 (オリジナルイタリア軍歌)

結月ゆかりによる 水雷艇カラタフィーミの決断 (オリジナルイタリア軍歌)

まずはアイデア提供者のワド殿に敬礼。こちらの動画は、昨年「オリジナル軍歌」のアイデア募集を行い、じじいが独断と偏見で採用、作詞・作曲させて頂いた代物になります。お題は、イタリア海軍水雷艇「カラタフィーミ」の戦いです。カラタフィーミは1923年にイタリアで竣工した駆逐艦だったのですが、1938年に新型の大型駆逐艦の事を「駆逐艦」とするようになったため、艦種が水雷艇へと変更されます。1940年にイタリアはフランス等に宣戦布告。同年6月14日、フランス海軍は第三艦隊を3つのグループに分け(エミール・デュプラ提督指揮)、重巡洋艦アルジェリーを旗艦とする第1支隊、重巡洋艦デュプレクスを旗艦とする第2支隊、それらを支援する駆逐艦と潜水艦からなる第3支隊が地中海へと派兵されます。この中の第2支隊はジェノヴァの砲撃に向かいますが、水雷艇カラタフィーミは当時、機雷敷設艦とジェノヴァ沖で機雷敷設任務にあたっていました。フランス海軍を視認したカラタフィーミは機雷敷設艦に撤退を指示、艦長のジョゼッペ・ブリニョーレ中尉以下約100名の水兵達は「当時、誰も生きて帰れるとは考えなかった・・・」という覚悟のもと、重巡洋艦2隻、駆逐艦5隻からなるフランス艦隊に単身で攻撃をしかけます。以後の詳細は動画にしておりますが・・・これね・・・カラタフィーミも機雷敷設艦と一緒に撤退して増援を呼ぶという選択をしても、誰も責めなかったと思いますよ。(まさか、突っ込んでいくとは・・・。)イタリア人が未だに「イタリア海軍は燃料さえあったら、イギリスに負けなかった!」というのも頷ける闘魂ですわ。(意外かも知れませんが、イギリス海軍に対するイタリア海軍の勝率は非常に高く、一時期は地中海からイギリス海軍を駆逐しております。)イタリア小型艦艇乗り達は猛者揃いだと、わしゃ思います。なお、艦長のジョゼッペ・ブリニョーレ中尉は終戦まで生き残り、水雷艇カラタフィーミは1943年にドイツ軍に接収され「TA19」と改名され、1944年8月9日にエーゲ海でギリシアの潜水艦「ピピノス」の雷撃を受けて沈没しております。次回投稿予定:2021年3月25日次弾装填:조선인민군가(朝鮮人民軍歌)★本日のうちのMMD的家系図くま式 結月ゆかり ChaChaMARU型広告に関する謝辞:トオノ様、ワド様、れれれ様、月鈴那知様、ジョゼッペ・ブリニョーレ様(ご本人かい!)、エミール・デュプラ様(あんたもかい!)、箱部なる様、秋月型初月様、アグネスタキオン様、励みにさせて頂きます、広告ありがとうございました。

http://www.nicovideo.jp/watch/sm38403598