武将茶人〜上田宗箇(そうこ)ゆかりの 史跡 名水「岩船の水」   広島県廿日市市浅原

武将茶人〜上田宗箇(そうこ)ゆかりの 史跡 名水「岩船の水」   広島県廿日市市浅原

戦国から江戸初期の武将で浅野藩の家老 上田宗箇ゆかりの場所。廿日市市の史跡である。浅野家内での揉め事から3年ほど隠棲した上田宗箇はここ廿日市市北部の浅原で草庵を結び茶事三昧に生きた。佐伯郡(大竹や大野、旧佐伯町)辺りは上田家の領地であった。住民にも慕われたらしい。毎日ここへ清水を汲みに来て民家でやすんで庵へもどったという。水は今も守られ茶に合う名水として親しまれている。東屋に囲炉裏があり休息できるようになっている。水量は絶えないがそう多くはない感じです。夏場は虫が多い(蜂もいた)歴史=上田重安(のち剃髪して宗箇と号した)従五位下主水正。尾張星崎村出身で元小笠原氏を称し、重安の時代に上だと改めたらしい。祖父の時代から丹羽長秀の家臣であった。武勇にも優れていたようです。長秀なき後、秀吉直参で1万石の大名となった(豊臣姓と冠位を授かる)関ヶ原で西軍に与し改易。蜂須賀家の客将〜さらに浅野家(妻が高台院尾根の従兄弟の娘で浅野との関係も深かったらしい)に乞われ1万2千石で家老となり浅野とともに芸州へ移った。茶道(利休〜古田織部に師事)作庭に優れた文化人でもあった。和歌山城西の丸、粉河寺庭園、名古屋城二の丸庭園、広島の縮景園など作庭がいまものこる。死後今の廿日市の串山で荼毘にふされ遺灰は砕かれ大野瀬戸(宮島海峡狭隘部)に流された。墓には遺髪と一本松が植えられているそうです。

http://www.nicovideo.jp/watch/sm39160974