「リンガーハット創業者、米濱和英氏」

「リンガーハット創業者、米濱和英氏」

米濱和英(よねはま・かずひで)氏は「長崎ちゃんぽん」を全国展開するリンガーハットの創業兄弟の一人。松竹映画「男はつらいよ」シリーズの熱心なファンとしても知られています。■■ 創業物語 ■■米濱さんは1943年、鳥取生まれ。高校3年で父親が死去。父は養鶏場の経営者で、様々な事業に手を出し、多額の借金を遺したといいます。遺族は工場、畑、家などを売却してなんとか精算したそうです。そのころ、12歳年上の長兄・豪(つよし)さんが長崎で立ち飲みバーを経営しており、和英さんも鳥取から長崎に引っ越しました。<とんかつ店として出発>長兄・豪さんがとんかつ店を開業すると、和英さんも手伝うことになります(1962年)。これが、現在のリンガーハットの創業です。商魂あふれる若き兄弟は、とんかつ店だけでは飽き足らず、近くで空き家を見つけては、すき焼き店や郷土料理店などを次々とオープン。しかし、死に物狂いで365日働いても、大した利益が出なかったといいます。<ちゃんぽん1号店>こうしたなか運命を変える商品と出会います。当時、日本全国で札幌ラーメンがブームになっていました。長崎にも札幌ラーメン店が登場。しかし、地元のちゃんぽんを愛する長崎市民の間では浸透しませんでした。兄弟は、長く愛され続けるちゃんぽんの商品力の絶大さに感銘を受けます。1974年、ちゃんぽん専門店をオープン。当初は「長崎ちゃんめん」と名乗りました。建物は長崎の教会をイメージしました。<チェーン展開で成功>兄弟は、最初からチェーン展開を念頭に置いていたそうです。リピータ―を確保するため、伝統的なこってり味でなく、あっさり味をベースにしました。同業他社に先駆けて、郊外にロードサイド店を展開。さらに、いち早く深夜営業を取り入れました。<兄が逝去。32歳で社長に>1976年、長兄豪さんが肝臓癌で逝去。44歳という若さでした。32歳だった和英さんが後任社長に就きます。1979年に関東に進出。1985年には株式上場を果たしました。<トヨタ式改善で、バブル後の危機から立ち直る>上場で50億円を得たものの、バブル経済下の財テクと米国進出で失敗し、経営難に陥ります。米濱さんは本業を立て直すべく、「NPS(ニュー・プロダクション・システム)」という経営者の団体に入会したそうです。トヨタ自動車の生産方式をモデルに、業務改善を図る研究組織です。NPSで様々なヒントを得て、経営の全面的な刷新に成功しました。

http://www.nicovideo.jp/watch/sm39300217