撮影日:2021/10/29▶まあそんなに派手な観光地ではないけど、この山のこの斜面にしか生えず、珍しいっちゃあ珍しい風景ではあるようです。アカマツの劣性遺伝による変種とのことです。なんでここだけなんでしょうね? 昭和天皇も行幸されたそうです。そういえば植物の研究されてましたね。その関係かな?▶駐車スペース有り、水洗トイレ完備、東屋とベンチもあります。自販機売店等はないです。~民話 うつくし松の伝説~まるで盆栽を大きくした様な松ばかりのウツクシマツ自生地にこんなお話が伝わります。 平安時代の初め、文徳天皇の頃といいますから、もう千年もの昔のことです。京の都の公家であった藤原頼平という人は、元来からだが病弱であったため、ふとした病が長引いて移行に治らず、養生のために静かな平松の里へ保養に来ておりました。山の裾に家を建てて誰に気兼ねをすることなく静養の日々を送っておりました、そんなある暖かい日のことです。明るい日差しがあふれる縁に座って、何の気なしに庭つづきの山のはしへと目をやりますと、松の生える山の中から美しく着飾った乙女たちが、次々とあらわれ数人にとなり、にこにこしながら頼平に近づいてまいりました。はて?…見慣れぬ子どもたち…と、いぶかっておりますと、その乙女たちが、「私たちは今日の西山の松尾明神にお仕えする者たちです。明神様があなた様をお護りするように、おっしゃいますので、その仰せに従ってここへ参上いたしました」と、口々に言うではありませんか。あまりのことにただ呆然と見つめるばかりの頼平の前でその乙女たちは、美しい声で歌い、そして舞い、目の前の松の間で喜々と遊びたわむれるのでした。「松尾明神が私を…」その尊さに全身を打ちひしがれたようになった頼平は、ただもう我が身を忘れたように感激し、いつしか溢れくる随喜の涙で目もかすんでしまっておりました。そして、ふと気がついて我に返ると、遊びたわむれていた乙女たちの姿はそこに無く、目の前の松の総てが、それはそれは、まだ見たこともないうtくしい形の松に変っているではありませんか。「お……」と感嘆の声をあげた頼平はすぐさま筆を執って文徳天皇へ事の次第を細かく書いて送りますと、朝廷からは大納言が勅使となって下向し、奇端の松をその目で確かめ、あまりの美しさに「美し松」の名をその松に名付けられるのでした。頼平の病もやがて癒えました。都に戻った頼平は、早速に松尾大社へ参拝して分霊を戴いて平松へ帰りそこに松尾神社を創建いたしました。平松の地名は、藤原頼平の「平」と、松尾神社の「松」からなったと伝わります。大正十年に国の天然記念物に指定される。