【神道シリーズ・シーズン3】第2回・廃仏毀釈②(佐渡・隠岐・富山)

【神道シリーズ・シーズン3】第2回・廃仏毀釈②(佐渡・隠岐・富山)

廃仏毀釈は、慶応4年1868年3月8日の吉田神道配下と日吉社社司ら40名による日吉社の仏壇仏具の破壊焼却に始まり平田国学の影響を強く受けた一部の藩主藩士や庄屋豪農らにより明治元年より明治4年の終わりぐらいまでの間に全国5か所ぐらいの地域で過激な仏教排撃、寺院破壊と僧侶の強制還俗と帰農、そしてぶっそうさい火葬の禁止と神葬祭土葬の強要が実施され、やがて寺院や民衆の方から政府や朝廷に抗議の請願が出され、実地調査をした新政府がその惨状に驚き、事件関係者を処罰し明治4年の後半頃より収束をみることとなった。明治以前より廃仏寺院統合や廃仏毀釈が行われてきた水戸藩、薩摩藩、岡山藩、津和野藩、土佐藩などを除くと明治以降に平田国学の影響を強く受けて過激で破壊的な廃仏毀釈が行われたのは、松本、苗木、佐渡、隠岐、富山の5地域であるが、これらの地域に共通している点は、いずれも浄土真宗の強力な勢力圏であり、真言宗や天台宗や浄土宗、禅宗の寺院が次々と破壊され、僧侶たちには還俗が強制される中、浄土真宗だけは民衆門徒やtouzai本願寺の政治力も含め、実に根強い抵抗を見せ、この力がやがてこうした一連の過激な廃仏毀釈活動を終息させていくこととなった。結局一連の過激な廃仏毀釈活動が齎したものは、実行犯たちの思惑に反していかに仏教が国民にとって切り離せない唯一の信仰になっていたかを改めて証明した結果になったのだ。

http://www.nicovideo.jp/watch/sm39942342