史跡 浅原 / 早春の「岩船の水」武将・茶人「上田宗箇」ゆかりの地  広島県廿日市浅原 (サムネ=氷の手水鉢)

史跡 浅原 / 早春の「岩船の水」武将・茶人「上田宗箇」ゆかりの地  広島県廿日市浅原 (サムネ=氷の手水鉢)

上田宗箇=戦国から江戸初期の武将で浅野藩の家老 上田宗箇(そうこ)ゆかりの場所。廿日市市の史跡。宗箇はここ廿日市市北部の浅原で草庵を結び数年間 茶事三昧に生きた。藩内の揉め事が原因らしい。その後、藩主に呼び戻された。佐伯郡(大竹や大野、廿日市あたり〜旧佐伯町)辺りは上田家の一万二千石の領地であった。住民にも慕われたらしい。宗箇は毎日ここへ清水を汲みに来ては、民家でやすんで庵へもどったという。水は今も守られ茶に合う名水として親しまれている。東屋に囲炉裏があり休息できるようになっている。水量は絶えないが余り多くはない感じです。上田重安(浅野へ仕えた時に剃髪して宗箇と号した)従五位下主水正。尾張星崎村出身で元小笠原氏を称し、重安の時代に上田と改めたらしい。祖父の時代から丹羽長秀の家臣であった。武勇にも優れていたようです。長秀なき後、秀吉直参で1万石の大名となった(豊臣姓と官位を授かる)関ヶ原で西軍に与し改易。蜂須賀家の客将〜さらに浅野家(妻が秀吉の正室 高台院の従兄弟の娘で浅野との関係も深かったらしい)に乞われ1万石で家老となり浅野とともに芸州へ移った。茶道(利休〜古田織部に師事)作庭に優れた文化人でもあった。和歌山城西の丸、粉河寺庭園、名古屋城二の丸庭園、広島の縮景園(初期の作庭は宗箇で後に改修)など作庭がいまものこる。死後今の廿日市の串山で荼毘にふされ遺灰は砕かれ大野瀬戸(宮島の海峡狭隘部)に流された。墓には遺髪と一本松が植えられているそうです。wiki記事参照した。関連=浅原 亀山神社  sm39289520 iPhone写真にて作成。音楽は自動的に入るのでそのままです。自動でついてくる音楽は削除できないそうでアップロード等は問題ないとアップルサポートで確認済みそのまま上げる。

http://www.nicovideo.jp/watch/sm40126103