4年前に作った動画で、まだ動画制作に不慣れだったために読み間違いなど多数散見されます。ご容赦ください。また、回顧自体も僅か2年後の大混乱の渦中なので誤りも見られます。『露国革命の回顧 (四〜六)』大阪朝日新聞 1919.4.19-1919.4.29 (大正8) https://hdl.handle.net/20.500.14094/0100057359 『露国潰裂の真相 (一〜二十五)』東京朝日新聞 1919.3.28-1919.4.22 (大正8)の十六~二十五の記事です。一~十五までの前半の記事内容は、日露戦争後に腐敗したロシア軍や商人などロシア社会の状況を詳細に記述したものです。そして、その元凶であるドイツ人(おそらくユダヤ人)を民衆が追放するよう要求しています。新聞記事内容(四) 野獣的蛮行・ペトログラード守備連隊は行列の前に赤旗を翻して議事堂の方に進んだ・革命党は常軌を逸して、国家の秩序を保持の罪で残酷にも無辜の人民に惨害を加えた・海軍将校らは鼻や耳を削ぎ目を抉りて之を惨殺、苦しみを受けずに殺された者は幸せだった・水兵等は将校の一団を海に投じて溺死させ『将校水泳学校』と標識を立てて嘲笑した・殺害された将校の死骸は密かに葬られ、遺族は父や夫の墓所の所在すら不明だった(五) 労兵会政権掌握・革命の煽動者と国会議員等は徒らに暴民の意志に迎合、軍隊の威信も完全に消滅・労兵会の議長に選挙された社会民主党の首領は、反対者を容赦なく殺害する人物・臨時政府は恐ろしき労兵会に服従する組織となり、何ら将来の見通しもなかった・国会議員も臨時政府委員も知識があり立派な批評はするが困難な状況には不適格・兇暴で私利私欲にのみ汲々たる下級賤民の労兵会が、ロシアの実権を握る事態に(六) 露帝退位の悲劇・至急電報はニコライ二世の手許に達せず、皇帝は革命の性質を理解出来なかった・皇后とプロトポポフの一味は、何度も皇帝が適切に事態を収拾することを妨げた・線路が革命軍に占領され議会の要求を確認できず、皇帝は万事休し退位を決断した・皇后の様々な妨害工作から脱した皇帝は、本来の立派な性格により祖国の幸福を祈念・退位の決心は、ご自身の身の安全を顧みずロシアを救いたい一念からだった