「街を歩いても刺されなくなった」変わる修羅の街“最凶の暴力団”工藤会トップの死…

「街を歩いても刺されなくなった」変わる修羅の街“最凶の暴力団”工藤会トップの死…

「暴力団の街」と呼ばれるほど福岡県北九州市に暗い影を落としてきた工藤会。そのトップ野村悟被告に死刑判決が下ってから、地元経済には明るい兆しがみえ、商業地の地価は5年前から上昇傾向が続いている。一方、当の野村被告は控訴後に弁護人をすべて解任した。組員を一網打尽にした「頂上作戦」を指揮した当時の捜査幹部は、判決を先延ばしするための法廷戦術と分析する。オリジナルサイトで見る →  https://rkb.jp/news-rkb/202208242835/ ◆かつての「修羅の街」に企業進出約70社記者リポート「かつては企業の撤退が相次ぎ、修羅の街とも呼ばれた北九州市。街に暗い影を落としていた暴力団の影響力は消えつつあり、経済にも明るい兆しがみえています」386件。これは2014年以降、北九州市に新たにできた企業や商業施設の数だ(オフィス拡大や工場増設も含む)。特にIT関連企業の誘致が進み70社近くが進出した。また、小倉北区の商業地の地価は5年前から上昇傾向が続いている。北九州市の市民「街を歩いていて刺されたとか昔は言っていたけど、そういうのはなくなってるんじゃないかなと思います」「古いビルが建て変わり少しずつ街が動いているんだなというのは感じますね」◆きっかけは「頂上作戦」幹部らを一網打尽に街が大きく変わるきっかけとなったのが、工藤会トップの野村悟被告をはじめ、組織の中枢にいた幹部らを一網打尽にした「頂上作戦」だった。当時、捜査の指揮にあたった福岡県警のOBで、現在は、暴力追放運動推進センターの専務理事を務める尾上芳信氏に聞いた。福岡県暴力追放運動推進センター・尾上芳信専務理事「捜査員の中には家族を守るためにちょっと捜査を外さしてもらいたいと申し出る捜査員も中にはおりました。しかし、多くの捜査員は熱い気持ちを持って危険と隣り合わせの状況のなかでもなんとか工藤会を壊滅させたいという思いでした」野村被告は、元漁協組合長射殺事件や歯科医師襲撃事件などの4つの事件について起訴された。しかし、トップの指示を示す直接的な証拠はなく、裁判では指揮命令系統の解明が最大のハードルとなった。次は「死刑判決に“生涯後悔するぞ”」オリジナルサイトで見る →  https://rkb.jp/news-rkb/202208242835/

http://www.nicovideo.jp/watch/sm40974384