こーして、あーして・・・どうするんでしたっけー?長州の風雲児:高杉晋作の愛妾、おうの。彼が最も愛した女性であったと伝わる。下関で奇兵隊を結成した高杉晋作と、芸者:おうのが出会い、恋に落ちた。おうのは非常におっとりした性格で人を疑わない従順な性格であったと言われておりその性格を心配した晋作がある日「右を向け」と指示すると何故こんなことをさせられているのか一切の質問をせずに指示通りに右を見続けていたという。晋作が肺結核に冒された後は彼に付き添い看病を続けた。高杉晋作は長州藩のれっきとした上士であり、正妻は山口奉行の娘である雅子である為いよいよ死が迫った際には看病役を正妻に譲って身を引いた。晋作の死後は、晋作の最愛の女性であったと評されていた為にその後は誰の妻ともならず尼(梅処尼。明治戸籍名:谷梅処)として明治を迎えたとされ奇兵隊本陣跡に立てられた東行庵の庵主となった。明治42年、67歳の天寿を全うして、その墓は高杉晋作の墓が見える丘地に立てられた。さらに七回忌の際には村人たちの手によって晋作の墓のすぐ傍らに墓が移されたという。長兄の英傑大戦: mylist/73130055