【英傑大戦】気まぐれにデッキ変えつつ英傑【第67回:海道の支配者「桶狭間の戦い・風雲急 今川軍」】

【英傑大戦】気まぐれにデッキ変えつつ英傑【第67回:海道の支配者「桶狭間の戦い・風雲急 今川軍」】

圧倒的!圧倒的!圧倒的よぉぉぉ!!曰く、東海一の弓取り、海道一の弓取り、天下に最も近き男:今川義元今川氏親の五男として生まれ、家督相続とは縁のない誕生席次であった為、仏門に入った。・・が、氏親の嫡男:今川氏輝が急逝。師:太原雪斎の協力を得て、実の兄である玄広恵探と今川家の当主継承権を争った。花倉の乱と呼ばれる家督争いを制した義元は、今川氏第11代当主として駿河・遠江・三河の三領国もの地域を治める大大名として君臨。今川家最大版図を完成させ武田/北条といった関東周辺の列強と争い続けてきたが、とうとう甲相駿三国同盟を成立。今、上洛を完遂させ天下に覇を唱えるべく義元は進軍を開始した。圧倒的な戦力差でただ踏み潰すだけ、単なる進軍ルートでしか無かったはずの尾張。そこには尾張の風雲児と称される戦国大名がいた。その名は織田信長。今川軍の戦線は上洛を急ぐゆえに大きく伸びていた。その時、今川本陣に向けて、織田軍がその命運を賭けて突撃してきたのである。この突然の奇襲に今川軍は大混乱に陥り、織田家:毛利良勝(新助)によって義元は討ち取られた。上洛の夢は幻と終わったが、今川軍が油断せずに今あるものを振り絞った「渾身」の進軍が出来ていた時義元の采配は、信長を上回っていたのではないか?今はもう知る由はないが、桶狭間の戦いは大きく日本史の運命を変えた出来事である。長兄の英傑大戦: mylist/73130055

http://www.nicovideo.jp/watch/sm41680845