今に全ての勝利が、俺たちに微笑む!三国時代は呉国の忠臣:朱然。字は義封。元は朱治の甥であったが、朱治に子が居なかった為に養子となった。(彼が活躍するのは孫権の時代だが、肝心の孫権はまだ出し惜しみの状態である)メキメキと頭角を現し始めた朱然は、呂蒙配下として関羽討伐に参加し見事に武神:関羽を捕縛することに成功。この後、呂豪は関羽の呪いとも言われる急死を遂げるが、最期に朱然を重用するように孫権に進言。これを聞いた孫権は最重要拠点である江陵の守備を任せた。関羽討伐によって完全にブチ切れていた劉備が呉国に侵略を開始すると陸遜/孫桓らと共に火計によって蜀軍をボコボコにした。(夷陵の戦い)(この関係で三国無双の朱然は隙あらば火を付けようとする火炎キャラにされている)さらに後、今度は魏国が総力をあげた10万を超える大軍団にて江陵に進軍。援軍も魏軍の大攻勢の前に敗れ、重要拠点:江陵は孤立無援となりその命運も風前の灯となったが朱然はこの状況に対しても魏に下らず孫家への忠誠を続けて徹底抗戦を貫いた。そしてなんと、魏国撤退まで防戦し続けたのである。(これが粘り強く継戦する今回の計略の元となった)この事実に感銘を受けたのは他ならぬ孫権であり、以後、朱然への信頼は絶大なものになったという。以上は正史での記述であるが、演義では特に見せ場が無く、勝ち戦の夷陵の戦いで戦死。驚くほどに見せ場がない上に正史よりも30年近く早く退場するという呉国によくある正史に比べて演義での扱いが悪い武将の一人である。(ex:周瑜)長兄の英傑大戦: mylist/73130055