我が謀略の至る先へ…貴公ら、覗いてみるか?出雲国の大名にして守護代。中国地方の三大謀将の一人"謀聖":尼子経久。元は京極氏に仕えていたが、尼子経久の代で幕府への納金を拒否する等の独立の姿勢を露にした為その台頭を危惧した京極氏および近辺豪族の反感を受けて守護代から追放。浪人身分となったが、その後、主家との交流再開を取り付けて尼子氏を戦国大名へと蘇らせ勢力圏は主家たる京極家をも上回り中国十一ヶ国の太守(11ヶ国の守護大名)とまで称されるに至った。しかし、急速に勢力を伸ばした者にありがちな問題が外交状況である。(武田氏も同様)毛利家を庇護していた尼子家であったが、経久は毛利の台頭をよしとせずに力を削る謀略を行っていた。尼子家の支配から逃れようと毛利家当主:毛利元就が独立。後に経久の子孫は離反した毛利家により苦渋を舐めさせられることなる。また大内氏との外交状況も劣悪な状態となった為に急遽次代となった晴久が苦しむこととなってしまった。※ちなみに謀聖:尼子経久の知力が完全成熟前の元就の知力を上回るのは戦国大戦からの意匠である。長兄の英傑大戦: mylist/73130055