【英傑大戦】気まぐれにデッキ変えつつ英傑【第135回:冥冥たる戦】

【英傑大戦】気まぐれにデッキ変えつつ英傑【第135回:冥冥たる戦】

冥冥たる戦の先には、再生が待っておるぞぉ!河内源氏五代目棟梁:源為義。その十男:源行家。母は不明。六代目棟梁:義朝や鎮西八郎:為朝の弟にあたり、源頼朝や源義経の叔父にあたる。現在の和歌山県:熊野新宮に住んでいたため新宮十郎と呼ばれ、後に新宮行家を名乗った。平治の乱にて義朝が破れ、河内源氏は大きく衰退。非参戦者であれば罪に問われる者は少なく、行家は平氏の隆盛をただ見続ける立場にあった。(平家物語では平治の乱にて義朝側として参戦していたとされているが、具体的な活動内容が無く 参戦者の戦後処刑を考えると、行家が処刑されない理由が不明。恐らくは平家物語の創作である)平治の乱から20年後「以仁王(もちひとおう)」が平家打倒の号令を発布。この際、平家追討の令旨を日本各地の源氏及び反平家勢力に配り挙兵を促したのが新宮行家である。各地での挙兵を促した後に、自勢力からも挙兵するも、緒戦で連敗を喫してしまう。甥の頼朝を頼るが所領問題で間もなく不仲となり対立した為、甥の木曽義仲を頼り(禁断の甥頼り二度打ち)義仲と共に入京するも、義仲との序列問題で不仲となった為に対立。後に京を脱出した。(禁断の甥不仲二度打ち)脱出先で平氏軍に遭遇して敗走。さらに義仲からの追討軍に遭遇してさらに敗走した。頼朝の命によって義仲軍が討たれると、これを好機として帰京するも頼朝傘下とはならずに独立勢力となって平家討伐にも加わらなかった。(これにより元から不仲であった頼朝の不信感ゲージがMAXになるのは言うまでもない)源氏でありながら鎌倉傘下とならない行家に対して、頼朝はとうとう討伐軍を編成。行家は頼朝と不仲であった義経側に協力するが徐々に戦力を削がれて潜伏。しかし、地元民から密告によって捕縛され、長男・次男と共に斬首となった。長兄の英傑大戦: mylist/73130055

http://www.nicovideo.jp/watch/sm42425919