三浦の加護を!君たちにも授けよう!!相模国三浦郡、現在の三浦半島を拠点とした豪族武士:三浦氏。平安時代末期に源氏に仕えるが、源流は平氏であったとされる。その三浦氏第五代当主:三浦義澄。第四代当主、三浦義明の次男である。平治の乱にも源義平軍に属して参戦していたが、河内源氏当主:義朝が敗れ討たれると関東まで落ち延びた。その後、兄が戦傷が元で死去した為に次男である義澄が家督を継いだ。平治の乱から20年後「以仁王(もちひとおう)」が平家打倒の号令を発布。三浦義済は早速、挙兵した頼朝軍に合流しようとしたが暴風雨により合流が遅れ源平合戦緒戦「石橋山の戦い」に間に合わず、源氏はこれに大敗を喫してしまう。その後、再起を図った頼朝にすぐに合流して平家打倒を周辺豪族に呼びかけた。以降の一ノ谷の戦い、壇ノ浦の戦いにも参戦して武功を上げ、頼朝の家臣として確固たる地位を築いた。鎌倉幕府完成後は鎌倉殿の13人メンバーの一人に数えられ、梶原景時の鎌倉追放に加担。その後まもなく病死したが、当時としては非常に長寿な74歳の生涯であった。(だが、鎌倉幕府の政権争いで残念ながら三浦氏はその後、滅亡してしまう・・)英傑大戦内では「三浦」に非常に強い誉れを感じているふしがあるが、これは三浦半島に源氏ゆかりの寺社(大椿寺、本瑞寺、見桃寺、海南神社、三浦三十三観音等)が多数存在している為三浦にはそれら仏や神々の加護があることに由来していると思われる。長兄の英傑大戦: mylist/73130055