平家の誇りを守りたくば、この知盛に続け!!武士として異例の太政大臣まで上り詰めた平清盛。その四男:平知盛。平時子の息子としては次男にあたり、同父母の兄は平宗盛。源平合戦における源氏側の武を担ったのが源義経だとすれば平家側の武を担ったのが平知盛であるとされ、共にERでの登場となった。平治の乱後、平家の興隆はその極みに達して清盛の子であった知盛は従二位:中納言まで昇進したが「以仁王による平家打倒の号令」が発布されると日本各地で反平家勢力が挙兵。その最中で総合指揮を取るべき清盛が病死した為に時子長男の宗盛は政治、知盛は軍事の中枢として平家一門の旗振りを行った。(平家物語の中で宗盛は武士の棟梁の器ではない愚物として扱われ その後の軍記でも捕虜になった後の命乞いの醜さなどから全く評価されていないこともあり)実質的に平家一門を連れて各地で戦ったのは知盛であるとされている。(その関係から2コスERの知盛に対して、宗盛は1コスNと、平家大将としての格差が大きい)勢いに押された平家は京を追われ、各地での連敗によってとうとう本州最西端の壇ノ浦まで追い詰められる。そこで知盛は総大将の一角として奮戦するが、周辺各地の豪族が源氏側に付きどうあがいても勝ち目が無いことを悟った知盛は兵士へ停戦を命令。「源氏側兵士にも平氏側兵士にも家族がいて、勝敗の決まった無駄な戦闘で死ねばその家族が悲しむ」と。その後、平家一門の入水自殺を見届け、自身も二層の鎧と錨を体に巻きつけ「見るべき程の事をば見つ。今はただ自害せん」と言い残して一族の後を追って入水して自害。敗れはしたものの、武に長け指揮に長け、勇ましくそして優しい英傑の死であった。長兄の英傑大戦: mylist/73130055