AIきりたんによる 帝国在郷軍人会々歌(6番まで)

AIきりたんによる 帝国在郷軍人会々歌(6番まで)

今回のリクエスト曲は帝国在郷軍人会の会歌なのですが、まぁ今の若い方々には全く無縁の組織だと思いますので、ちと解説+αをば。在郷軍人会の全国統一的組織として帝国在郷軍人会があり、発足は1910年(明治43年)に遡ります。元々は陸軍の元軍人さん達の親睦を図る目的で組織されていた任意加入団体でしたが、1914年(大正3年)に海軍も対象に加わり強制加入団体へ、陸海軍共通の組織となります。主な役割は国家的式典や軍関係の式典等への参列、軍国主義的啓蒙活動、入営者への訓練、徴兵検査の指導、公安維持ならびに非常時における救護事業等でした。帝国在郷軍人会は度々の制度改変を経て、国民生活の隅々まで国体思想を浸透させ、国家全体を軍国化し、その治安維持を担い、100万人単位の予備役となる事が期待されました。と、ここまでが表の話でして実態はいささか矛盾したものとなっていたようです。というのも「兵隊あがり」(退役兵士の蔑称)は日露戦争の段階から嫌われており、既に社会不安の一因となっておりました。兵隊さん側も死ねば軍神、生きていれば厄介者扱いという社会の矛盾を肌で感じ、挙句の果てに彼らが受け取るはずの年金は他の事に使われていました。(在郷軍人の半数以上は満額もらっていないし、その不満からか1918年の米騒動で刑事処分を受けた在郷軍人は12.1%にものぼる)とは言っても彼らは予備役。日中戦争の大動員では現役兵33万6000人に対して、開戦後の在郷軍人召集数は59万4000人にもなり、戦地へと赴きます。で、国でひどい扱いを受けた彼らは特設師団として編成されるものの「素質不良」として指示に従わない軍隊となります。(正規軍より遥かに指揮官の死亡率高し。兵士が前いかねぇ・・・。)その後、戦争帰還兵を待っていたのは、歓迎会禁止、楽隊禁止、銃後の戦意昂揚に水をさすような実態談一切禁止という、またもや冷たい対応でした。この頃から軍部は在郷軍人会をあてにしなくなったようでして、戦意高揚効果の高かった「婦人会」を起用しはじめ、ますます在郷軍人会の扱いはひどくなっていきます。そして大東亜戦争時、予備役たる在郷軍人に再び動員がなされますが、夜中に誰にも気づかれないように軍服ではなく普段着を着て召集場所に集まるよう、お国から秘密動員令が出されたのでした。(1945年8月31日、会は解散)なんだかなぁ~。次回投稿予定:2024年4月18日Bonnie Blue Flag★本日のうちのMMD的家系図ふらすこ式風きりたん 金子卵黄型

http://www.nicovideo.jp/watch/sm43619188