wikipediaページより 平安時代中期以降、武蔵七党の一つ、横山党の領地となった。建保元年(1213年)、和田合戦により大江広元の領地となった。室町時代、大江広元を祖先に持つ大江備中守師親あるいは長井時広が在城(築城)したと言われているが、諸説ある。長井氏以降の片倉城に関しては詳らかでないが、その堅固な構造から、後北条氏の領地になってからも砦として戦国時代後期まで使用されたと考えられる。永禄12年1569年、三増峠の戦いで北条氏照と北条氏邦が片倉城より出陣した。天正18年(1590年)、豊臣秀吉による小田原征伐の八王子城落城時に落城とされる。