【城郭登城祭】VOICEPEAK♪♪防長路巡り 上関の春(一) 長島 上関城跡と河津桜 山口県熊毛郡上関町  

【城郭登城祭】VOICEPEAK♪♪防長路巡り 上関の春(一) 長島 上関城跡と河津桜 山口県熊毛郡上関町  

湯飲みの茶渋様主催の城郭登城祭第二弾です。上関の春・花巡り 日帰り旅 その1 河津桜と上関城跡=上関城山(じょうやま)歴史公園(山口県熊毛郡上関町長島)へその2 竈八幡宮と水仙( sm44807290 )神社編 お城要素なしです (^^;;その3 上盛山と城山の写真の補遺  sm44855235 4k 版= https://youtu.be/vBDyHkFJbHs 注)15世紀(?)〜16世紀後半にかけて上関の長島の丘陵上にあった城塞。以下参考文献によると 江戸期の資料〜防長風土注進案の記事では「長島の天満宮にある御船手組 村上図書の奉納した灯籠の碑文から引いて、能島 村上氏の村上義顕(〜1458年没)が、上関に海関を設けて築城し村上吉敏〜武満と続いたと伝わる」一次資料上は16世紀後半の村上武満対馬守が在城の記録があり15世紀〜16世紀前半にすでに築城されていたという同時代記録は見つかっていない。伝説の村上義顕の実在が確実な一次資料は現在なし。大内義長時代 陶晴賢らと衝突し村上氏が追放され、宇賀島水軍が一時支配したが、奪還したと言われる。能島・村上氏が毛利氏との関係がこじれて、来島村上氏が一時支配した時期もある。天正16年(1588年)の海賊禁止令で海賊行為、徴税特権が失われ・・役割を終えて廃城していったようです。村上武吉は関ヶ原以後、一時期 上関領主→周防大島和田の領主として毛利氏家臣団に組み込まれた。参考資料「上関城」調査報告書 参照  財団法人山口県教育財団山口県埋蔵文化センター奈良文化財研究所 全国文化財総覧 「上関城跡」 歴史的経緯を参照と一部写真引用あり https://sitereports.nabunken.go.jp/ja/search/item/24558?all= 上関城&for_catalog=n&has_file=x&include_file=include広告御礼申し上げます (^^;;人nanary様 龍休宗庵様 brisky様 歩&みおトラベル様 nopposan様 no=name(ナナシ)様 ゼルディア樣 しづ様 伊佐木の人様

http://www.nicovideo.jp/watch/sm44833592