2025年の3月下旬、三重県四日市市にある采女城址(うねめじょうし)を訪れました。文応元年(1260)に後藤基秀が築城したと伝わり、永禄11年(1568)の織田信長の伊勢侵攻で落城するまでの約300年の間、後藤氏の居城でした。南の内部川と西の足見川が合流する地点を見下ろす、標高50m~70mの丘陵地に築かれた山城で、比高は40m~60mのようです。九つの曲輪が残っているようですが、六、七、九の三つの曲輪は、自然のままの状態に残すとの観点から整備の手を加えないままとしているそうです。各郭の間には堀が残り、土塁の遺構も良好に残っていました。一の郭(本丸)に井戸跡があり、落城の際には城主・後藤藤勝の娘である千奈美姫が身を投げたと伝わるそうです。城址は所々に木橋が架けられたりして、よく整備されており、大変素晴らしい城址でした。地元の方の整備・維持に大変感謝です。日進市の赤池城址で会ったおばあちゃん、あれから5年も来れやんくてごめんやけど、ほんまいい城址やんなぁ!お城→ mylist/37297571