2025年の4月下旬、長野県埴科郡坂城町にある葛尾城(かつらおじょう)を訪れました。築城年代等は不明ですが、戦国時代には、北信濃の国人領主である村上氏の居城でした。城主・村上義清は武田晴信(後の信玄)の信濃侵攻に対し、上田原の戦い、戸石城の戦いで二度に渡り勝利しますが、天文22年(1553年)、武田方の執拗な侵攻により落城し、義清は北の高梨氏を通じて、越後の長尾景虎(後の上杉謙信)を頼っていきました。村上氏旧領回復の為、川中島の戦い等がありましたが、義清が旧領に復帰することはできませんでした。本能寺の変後に、上杉景勝が北信濃一帯を掌握すると、村上義清の子の村上国清(山浦景国)が旧領復帰を果たしました。上杉氏の会津転封後は、森氏が海津城に入り、森氏家臣の井戸 宇右衛門(いど うえもん)が葛尾城・城代となり、関ヶ原の戦いでは、上田城の真田氏への備えとなっていたようです。動画作成後にこの説明文書く為に調べている時に知ったのですが、井戸宇右衛門はあの名古屋山三郎を返り討ちにした人だったんですね。今度、葛尾城に行く機会があれば、井戸宇右衛門公の慰霊もせんと。葛尾城は標高805mの葛尾山の山頂に築かれた山城で、城下町の中心からの比高は400m程あります。坂城神社の北東の登山口から、近道を登り、主郭まで43分(途中、写真撮影32枚)でした。勾配のきつい坂が長く続き、下りは踏ん張る機会が多いので、過去の山城の中でも一番きつかったかもしれません。下山後は足の爪が痛くなっていたので、トレッキングポールがあった方が良いと思います。登山靴は必須です。主郭はそれほど広くありませんが、南に坂木の城下町、千曲川、上田原と見渡すことができます。主郭と北の石垣の間には大きな堀切が3か所ありました。動画は以下の順で散策しています。 村上義清公墓所(3:33) → 坂木宿 ふるさと歴史館(5:12) → 満泉寺(村上氏居館跡)(15:17) → 坂城神社(16:20) → 村上国清供養塔(18:18) → 葛尾城(21:34) ビデオパートは以下になります。 坂城神社(34:53) 葛尾城主郭(35:24) 葛尾城北の堀切①(36:15) 葛尾城北の堀切②(37:12) 葛尾城北の堀切③(39:11)お城→ mylist/37297571