柳川平助は1945年に病死していて、南京事件の責任を問われることはなかったのだけれど、松井石根は、虐殺を止めなかったというので、責任者として処刑されることになった。彼の辞世の句は、自分が生贄として処刑されるのだということを意識した上で、それを淡々と受け入れようとしていることが表されている。唯一責任を問われて処刑された人物こそが、皮肉にも、この事件について最も良心を持って対処していた人物だったのだ。この人の目で見ることで、この奇妙な事件の真相も、ようやく人間らしい目で見られるような気がする。 https://www.facebook.com/share/p/177D3LLu56/