9/4追記Stage1含めてまた動画の構成を大幅に見直し再投稿する可能性が高いです。変更点は以下の通り↓・語りを三人称(誰でもない視点)にする。悩んでる人に語らせると視聴者に寄り添った語り方ができぬ・そもそも一話あたりの内容を減らす・童話のような素朴な心の揺れ動きを主とし、細かい話や解説は動画説明欄に任せる追記終わり本日のコラム清蘭が拾ったこのノート。べつに特殊な生まれ方をしたわけでもないくせに、自分が生きていることに怯えてばかりいる、外の世界の人間の独白が綴られている。清蘭は最初、素朴なーーしかしだからこそ絶大なーー嘆きだけを持っていて、それに対する考え方までは知らなかった。けれどもこのノートのおかげで思索は飛躍的に進歩した、というより底の底まで急落してしまった。「自分の存在が驚異でしかない」という観察から、虚無主義の中でもかなり苦痛に満ちた部類のものにたどり着くまでの梯子を。これを読んだ霊夢は、「偶然拾ったにしては怪しい。誰かのせいにしたいがアイツの顔しか思い浮かばない」とこぼした。 期待するからへし折れて苦しむのか、苦しみから救われたくて期待するのか。 清蘭はときどき考える。なぜ私はこんなことでいつまでも悩んでいるのだろう。自分が生まれてしまったことに恐怖するのは、今やこの異変の幻想郷ではありふれた現象ではあるのだが、やはり私ほど思いつめてしまうのは稀らしい。どうしてそんなに悩むのだろう。仮に原因を推定できたとて…「原因が分かれば許容できる」というのは決めつけの嘘であるから…自分の悩みをすっかり許容することはできないのだが、考えずにはいられない。私は臆病で、ちっぽけな驚異に大げさに恐怖してしまうのか(そういった気質を生まれ持たされた「生」それ自体が問題ではないか?)。私は諦めてしまうのが耐えられなくて、皆がとうに諦めた賽の河原で延々と石を積むのか(皆諦めないといけないほど絶望的な「生」それ自体が問題ではないか?)。私は自分に厳しすぎて、完璧な希望を求めて思考回路を巡るうちに、人が考えうる全ての希望への経路を断線してしまったのか(そんな現状に甘んじている自分が今こんなにも惨めだ)。清蘭は許してやりたかった。認めてやりたかった。けれども最後に残った確かさは、「ただ在ってしまっただけ」という究極の不確かさであった。その吐血と絶息の第一歩からは、如何なる結論も導けない。それ自体が結論だから。「もう生きるな」とは決して言えないが、「生きてていいよ」とも決して言えないのだ。果たして、清蘭は自分が生きていることを許せなくなった。「私はただ在ってしまった。それで、どうする?」