今回はM・フラトキン作曲・Ye.ドルマトフスキー作詞で「Воспоминание об эскадрилье "Нормандия-Неман"」(飛行隊「ノルマンディヤ・ニェマン」の思い出)をお届けします解説 この曲は自由フランス義勇軍「ノルマンディヤ・ニェマン(ノルマンディー・ニーメン)」について描いた1956年の歌ですかつての戦友たちを懐かしみながらも、戦後西側陣営に加わり敵対関係となっていた当時のフランスに対しては「釘を刺し」ているのが特徴的ですノルマンディヤ・ニェマンとは 1941年6月のドイツ軍のロシア侵攻から6カ月後に自由フランス軍とソビエト連邦の間の緊密な連携を目的とした会談が持たれた結果、当初12名の戦闘機パイロットと47名の地上要員で構成される東部戦線に従軍する特別飛行隊を編成することになったドゴールは1942年9月1日にジョセフ・プリカン少佐指揮の第3戦闘飛行隊「ノルマンディ」の発足を公式に発表した その後も苛烈なる戦果を挙げ続け、トゥーラでより高性能なヤコヴレフ Yak-9Dでの訓練を終えると拡充された連隊は2度目の戦いのために再度前線任務に戻ったこの戦いの間にニーメン川を占拠する戦いへの参加の功績を表彰してスターリンは連隊を「ノルマンディ・ニーメン」という部隊名称にするように命じた東プロイセンに対する新しい攻勢の初日10月16日に連隊のパイロットは損失を出さずに29機の戦果をあげたと申告した同年末にプイヤードは連隊指揮官の任を解かれ、その他の熟練パイロット達と共にフランスへ帰国した連隊の指揮はルイ・デルフィーノに引き継がれ、1944年末までに部隊は201機の戦果をあげていた1945年1月14日に「ノルマンディ・ニーメン」は、V-Eデー後の東部での公式な勝利が宣言された5月9日まで続くドイツ第3帝国の東プロイセンを中心に繰り広げられた3度目の戦いに参戦したパイロット達は1945年6月20日にパリに帰還し、英雄としての歓迎を受けた 戦争終結時点で部隊は確定273機と不確定37機を撃墜し、それに対し自部隊の87機と52名のパイロットが撃墜された約5,240ソーティを実施して869回の空戦を行った その他に27両の列車、22両の機関車、2隻のSボート、132台のトラック、24台の兵員輸送車両も破壊した部隊のパイロットのうち42名が戦死し、30名がエース・パイロットの資格を得た現在はフランス空軍1/30中隊が「ノルマンディー・ニーメン」を、ロシアでは第18親衛戦闘航空連隊が「ノルマンディ・ネマン」を名乗り、この部隊はフランス=ソ連/ロシア友好戦闘部隊の伝統を維持している