【Russia Chechen War Song】Ты только маме что я в Чечне не говори(xalxuri)ママに僕がチェチェンにいることを伝えないで

【Russia Chechen War Song】Ты только маме что я в Чечне не говори(xalxuri)ママに僕がチェチェンにいることを伝えないで

今回はxalxurのТы только маме что я в Чечне не говори(ママに僕がチェチェンにいることを伝えないで)をお届けします次回はウクライナ(バフムト)版をお届けします説明この曲は前回の「Привет сестренка」の替え歌として作詞され、歌詞には過酷なチェチェンについて色濃く記されているのが特徴であるチェチェンでは大人員精鋭のソ連軍とは打って変わりロシア連邦になった直後に侵攻を始めたということでソ連からロシアへ移り変わる際に一度軍を解雇していたため再雇用に時間がかかったその結果としてまともに訓練されていない新兵ばかりとなり、物量においては圧倒的優勢に立てていたにもかかわらず、不適切な指令や到着しない航空支援などで投入された戦力は次々とゲリラの待ち伏せに遭い各個撃破された特に「マイコープ旅団の悲劇」こと第131独立自動車化狙撃兵旅団の壊滅はチェチェン戦争を語るにおいて欠かすことはできないまた戦車も市街地戦において四方八方から矢継ぎ早に突出するチェチェン側の対戦車部隊やビルの高層部からの対戦車攻撃によって手も足も出ず、代わりにZSU-23-4などの高仰角がとれる自走対空砲が活躍することとなった高所からの攻撃については、ソヴィエト・アフガニスタン戦争でムジャーヒディーンが行っていた戦法であったため、チェチェンでもこの知見を活かした戦いができたであろうがソ連崩壊によってこの知見は受け継がれることなくチェチェンの火蓋は切って落とされたのであるこの経験は後にロシアがBMPTテルミナートル(ターミネーター)を開発するきっかけとなった用語黒き200便 戦死者の輸送を行っていたAn-12のスラング。本来は「黒いチューリップ」と訳すのが正しいが、200便とも呼ばれていたためここでは黒き200便と訳した。初出はソヴィエト・アフガニスタン戦争なのだが、ロシア・チェチェン紛争やロシア・ウクライナ戦争でも使われているあたり軍全体に広く浸透しているものと思われる。かつて動画化した「Грачи прилетели」動画内の「200便の貨物になるのは御免だね」の200便はこれと同じものである。アチコイ・マルタン チェチェン紛争における激戦地の一つ。アチコイ・マルタン要塞とも称されるが、実際のところはアチコイ・マルタンという村で、頑強な防御陣地が張り巡らされていたためロシア側は要塞と表現したのだと思われる結果として戦車やTOS-1(自走式サーモバリック弾ロケットランチャー)などによる砲撃で村を瓦礫の山としてこの戦いは終わりを告げたとされる

http://www.nicovideo.jp/watch/sm45499394