私ががんを恐れなくなった理由 – 2001/12/1 逸見 晴恵 (著)【アラ還・読書中毒】セカンドオピニオンのススメ!取れば大丈夫と言われて手術を受けたが手遅れだった(病状について告知されなかった)

私ががんを恐れなくなった理由 – 2001/12/1 逸見 晴恵 (著)【アラ還・読書中毒】セカンドオピニオンのススメ!取れば大丈夫と言われて手術を受けたが手遅れだった(病状について告知されなかった)

「私がおかされている病名はガンです。」死後「行き過ぎた手術」との指摘も。第1章 誰にも逸見のような思いをさせたくないカメラに向かってガンを告白したのは3回目の手術が決まった時93年最初:1cmの初期の胃がんとれば大丈夫、と言われた。セカンドオピニオンを本人は拒否。9月16日3度目の手術。逸見は13時間の手術後一度も家に帰ることなく抗がん剤の副作用に苦しみ、声も出せずじまい12月25日亡くなりました。毎年の検診を受けていなかったら一年は普通に仕事できたのでは?転移もしていて手術不能、静かに終える、近藤誠先生等の対談先生の意見が週刊誌に乗った時は打ちのめされました。弟を32歳の若さで亡くす。発見されたときは手遅れだったら自分はそうなるまい老いた両親を悲しませたくない。每年検診。近藤「中間ガン」検診と検診の間に大きくなる逸見さんの場合は摘出そのものの意味が疑わしい。最後の手術の会見を見ていると⋯ガンに体が負けた状態・・あの時点で治ることないと⋯もやもやしていたものが晴れた気がした。手術1回目・今の私の知識が当時の逸見に「切れば大丈夫」にすがりついたその病院はガン専門ではないので私は不安。「僕は先生を信用している。⋯」年に一度特別な検査内视镜スキルス性で腹膜播種という最悪の事態。本人も家族も知らなかった。切る前に分かっていた?切ってみたら進んでいた。胃の3/4を切った。かなり悪い、5年生存率は0に近い本人には告げられなかった切るべきか?は医者にゆおって半々に分かれる検査をしなかったら1年ぐらいは仕事ができたのではないか?二度目の手術に意味があったのか?突起物をとってもがん細胞は残っているはず手の付けられない状態であったのでは?病院が告知していたら⋯2,3の手術はしなかったかもしれない。3kgの臓器をとる、死期を早める9月16日の手術から1か月腸閉塞を予防するため⋯でも発症した。12月25日永眠1 情報収集が足りなかった2 医師任せだった3 セカンドオピニオンを取らなかった4 がん治療の幅の広さを理解していなかった

http://www.nicovideo.jp/watch/sm45685790