【夕刊シチ デイリー両晋南北朝 1月6日号】284年11月~285年10月

【夕刊シチ デイリー両晋南北朝 1月6日号】284年11月~285年10月

資治通鑑原文328文字(355/365位)【登場人物】・メインキャスト 1/1-司馬炎-1/11 1/1-司馬衷-1/29 1/1-劉淵-2/2 1/4-慕容廆-2/26・準メインキャスト 1/1-司馬倫-1/23 1/1-張華-1/22 1/1-杜預▲【できごと】柱石の死! 晋の明日はいずこ この年、二人の大物が死亡します。ひとりは杜預。この企画取り扱い期間的に大きく取り上げることはできませんでしたが、間違いなく晋を政治軍事に渡って大いに支えた人物でした。呉の討伐をするに当たって、その率いる軍の鋭さを描写した言葉「破竹の勢い」の語源ともなったその活躍については、ぜひ三国志の末期を取り扱った作品などでご確認ください。 そして、もうひとり。劉毅です。これまで見てきていただいたとおり、その厳しくも的確な言動にはいかにして晋の天下を安寧に保たんとするか、が見られました。それが晋から消え去ってしまったわけです。こうした人物の厳しさは、当然皇帝に向けられるのみであるはずもありません。ともなれば、宮中の弛緩は不可避となったことでしょう。 この両名の死が象徴するように、時代は「三國志を終わらせたものの退場と次世代の登場」がピックアップされます。ここで次世代が俊英たち揃いであればよかったのですが、たとえば初日で内紛を起こしていた王渾の息子、王済はまさしく名門の生まれ、すなわち九品中正制の恩恵をこうむりつつ、宮中人事の運用をめぐって従兄弟と紛糾。そういうところは父親に似なくても良かったのでは……? このように、中央の統制にもいよいよ破綻の兆しが見え始めたところで、北方では匈奴3万人弱が帰順を願い出ています。あわせて把握しておきたいのが、同年晋で飢饉が起きていた、ということ。つまりこの帰順は、晋への忠誠というよりも、まつろわぬ者たちが、まつろわぬまま、緊急避難を申し出ただけ、とするのが良いのでしょう。 ここで資治通鑑の内容を拾ってみれば、意味ありげに「この歳に日食が起きた」と書かれます。いわゆる匂わせというやつですね。こうした天象は中国史においてしばしば未来を占うものとされます。そして史書にこれ見よがしに書かれているならば、その的中率は、こうなります。100%。すなわちこうした記述を用いて、じわじわと、しかし着実に、火種に火が近づいている、と示しているわけなのです。 https://www.amazon.co.jp/stores/%E6%B3%A2%E9%96%93%E4%B8%BF%E4%B9%80%E6%96%8E/author/B0BRTLFHTQ

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