Shimocobanaと申します。ボカロックやってます。※以下根拠も何もない「戯言」です。読む必要ないです。最近思うんです。ボカロ楽曲はギルティ・プレジャー(聴いていると公言しにくい音楽・以下GP)なのでしょうか?最近、初音ミクと他コンテンツのコラボを見かけますが、僕はGPからの脱却を目指しているように映りました。初音ミク、ひいてはボカロに対してのGP感の脱却することで、違う層のリスナーが増え、よりボカロが盛り上がり…という事だと勝手に思っています。(そもそもボカロはGPで無いと思っている方、すみません)新規層を取り入れることでリスナーを増やそうという考えは理解できます。が、そうして仮にメインストリームになったとして、ボーカロイド楽曲は「ボカロ」たりえるのでしょうか?申し訳ないですが、自分はボカロをGPだと思います。やはり人には言いにくいです。ですが、それこそが私がボカロを好きな理由なのです。人それぞれ好みだろ、と言われると思いますが、ボカロと言うのは、リビングから漏れる両親の喧嘩の声に耳を塞ぐため、独りの昼休みをやり過ごすため、憂鬱な明日が来るとわかっていても眠りにつくため…に、“イヤホンで聴く”音楽でした。今でいう陰キャの14歳、世界から自分を守るためには耳を塞ぐ必要がありました。その手段がボカロを聴くことだったのです。「いや、お前がそういう消費の仕方をしてきたからといって、そのコンテンツはそうあるべきだと決めつけるのはおかしい」?…はい。その通りだと思います。ですが、僕にとってボカロ=ボカロックであり、ボカロック=GP(マイノリティの逃げ口)なのです。おそらく同じ考えの方も一定数いるのではないでしょうか?つらつらとすみません、結局何が言いたいかと言うと、・過去、ボカロ(=ボカロック)リスナーはマイノリティだった。・だからこそ、マジョリティからの逃げ口・受け皿としてマイノリティがコンテンツを楽しんでいた。・しかしボカロをマジョリティに押し上げようとする中、「ボーカロイド楽曲」は引き続き「ボカロ(マイノリティの受け皿)」の要素は残るのか?もうボーカロイド楽曲は、「ボカロ」でひとくくりにできるようなジャンルの域を「完全に」抜けたのでしょうね。(以前は、世間一般の認知はボカロ、でひとくくりの様に感じていましたが…)ヒットチャートにのるようなマジョリティのボカロと、マイノリティのためのボカロ。そんな二極化が加速する気がします。僕は、そんな中でもやはり後者。陰鬱で騒がしい、耳を塞ぐようなボカロックを追い求めたいのです。