山城しんごの城めぐり 花園城(埼玉県寄居町)

山城しんごの城めぐり 花園城(埼玉県寄居町)

城なびより 江戸時代末期に編纂された「新編武蔵風土記考」によれば花園城は藤田氏15代が在城したと記されています。城主の藤田氏は武蔵七党猪俣党の一族で、戦国時代後半には、関東管領上杉氏の重臣となっていたようです。関東管領上杉氏の勢力が減退し、相模の後北条氏が勢力を伸ばしてくるとその傘下に入ります。そして天文24年(1555)に藤田泰邦が没すると後継者問題が立ち上がり、北条氏康はこの後継者問題に介入して自身の4男氏邦を入婿として藤田家に送り込み、藤田家は後北条氏に取り込まれます。氏邦は花園城から鉢形城に移り、そこを拠点として上野方面への進出や甲斐武田氏、越後上杉氏の侵攻を防ぎました。しかし天正18年(1590)になると天下人豊臣秀吉による小田原征伐が始まり、鉢形城は落城、その際花園城も廃城になったようです。花園城は上武山地が関東平野に接する丘陵上に縄張りされ、荒川が形成した扇状地形の先端部に位置しており、秩父方面への街道を押さえる要衝として機能していたと考えられています。

http://www.nicovideo.jp/watch/sm45877587