資治通鑑原文3673文字(109/365位)【登場人物】・メイン 1/4-慕容廆-2/26 1/12-劉琨-2/10 1/26-王導-3/5 1/27-石勒-2/26 2/3-石虎-3/14・準メイン 1/21-王敦-2/16 1/25-李雄-2/27 1/25-陶侃-2/27 1/26-劉聡-2/10 1/26-劉曜-2/22 1/26-司馬睿-2/15 2/3-司馬鄴▲ 2/8-司馬紹-2/18【できごと】 長安の陥落が建業にしらされます。司馬睿は喪服にて嘆き、もと琅邪王であったところ、改めて晋王を名乗りました。結果だけで書くとひとの心がなさすぎてすごい。 晋の皇帝が連れ去られた。ならば天子の不在は許されません。なので仮にでもその代行者は立てねばならない、そういうロジックではあるのです。ただそれは、結局司馬睿が長安にまともに救援を送らなかった、という結果に塗りつぶされます。思いがどうであったかともかく、全ては結果で語られざるを得ないのです。 そして、その愍帝は平陽に連れ出され、懐帝と同じように側仕えのような扱いを受けた末、殺されます。懐帝は一応厚遇されていましたが、愍帝はほぼ一瞬です。劉聡の自制心が終わっていた、と言ってしまうべきなのでしょう。 天下が緩んでいる中、蜀の西の彼方、青海地方と呼ばれる地で、なぜかひとりの慕容部人が死亡します。彼の名は慕容吐谷渾。慕容廆の庶兄で、慕容廆と対立するも、血で血を洗う戦いを望まなかったため出奔、遙か遠方の地にたどり着きました。吐谷渾自身はただの旅人という感じなのですが、子孫らが慕容吐谷渾の業績をたたえ、吐谷渾を名乗る国を立ち上げます。この国は、唐代中頃まで続きました。ちなみに慕容吐谷渾がどういうルートで青海地方まで至ったのかはわかりません。 劉琨に目を向けましょう。主であった愍帝も殺され、自身も石勒に追い詰められた。段部と結び継戦の意思は引き続き抱いていますが、情勢はあまりにも極限的。そこで副官の温嶠に一通の手紙をもたせました。江南の司馬睿に帝位に就くよう求める、いわゆる勧進表でした。司馬睿はいったんこの勧進を退けこそしますが、改めて天下に向けて檄を飛ばします。その内容は「石勒みたいなクソ野郎ぶっ潰したいので祖逖を応援してくれ、な!」という感じでした。きみ祖逖のことそんなに支援してたっけ? ともあれ、いよいよ東晋五胡十六国という枠が確立されつつあります。これはもう、漢までのひとが拠り所としていた規範に、一旦リセットがかけられた、というべきなのかもしれません。