資治通鑑原文4860文字(71/365位)【登場人物】・メイン 1/4-慕容廆-2/26 1/12-劉琨▲ 1/26-王導-3/5 1/27-石勒-2/26 2/3-石虎-3/14・準メイン 1/21-王敦-2/16 1/25-李雄-2/27 1/25-陶侃-2/27 1/26-劉聡▲ 1/26-劉曜-2/22 1/26-司馬睿-2/15 2/8-司馬紹-2/18 李寿-3/9【できごと】 おめーほぼ既定路線だったじゃねーかと言いたい気もするのですが、司馬睿が帝位に就きました。元帝です。皇太子には、聡明さと果断ぶりで知られた司馬紹が就きます。 なお元帝即位のとき、王導にも玉座に座らせようとしましたが「太陽がふたつあってはなりませぬ」と辞退。言い換えればそういうレベルの大権を得ていたことに自覚的だった、となります。実際に元帝の即位を受け、王導は文の、王敦は西方の武の総取締となっています。中央で両名に対する警戒の念が生じるのも不可避のことでした。 そして、匈奴漢をグダグダにした劉聡が死亡しました。宦官や外戚の跋扈する魔窟となっていた宮中では、跡を継いで即位した劉粲があっという間に外戚の靳準に殺されました。ちなみにこのとき涼から晋を経て匈奴漢に帰順していた北宮純も殺されています。諸行無常。 ところでこの動きは、外部で戦争現役であった劉曜や石勒にとり、愚行も愚行にしか映りません。両名は即平陽に乗り込み、靳準一族を滅ぼし、靳準が荒らした匈奴漢の歴代皇帝の陵墓を修復させました。この段階ではまだ、石勒が劉曜の下というていで働いているのがわかります。ここまでは、まだ。 ところで、石勒が平陽に向かったと言うことは、劉琨にとっては逆転の一手を打てるまたとない機会でした。しかし、そうはなりませんでした。このタイミングで劉琨は、段部の内紛に巻き込まれ、殺されています。晋のために戦った名将の、なんともあっけない幕切れでした。 同時期慕容部では慕容廆が自身より見解の優れた人物として裴嶷をその副官に取り立てました。こうした動きはいよいよのちの前燕に繋がる官僚体制確立の萌芽としてみることが出来るでしょう。また成では李雄の統治を大いに支えた賢人、范長生が死亡。その息子が范長生の役目を継承しました。あわせて李雄の甥の李寿に要地の巴西を守らせています。 中央だけでなく、各地でも様々な、次の時代に繋がる動きが生じています。まぁ、これがまるきり安定に繋がる気もしないのが、この時代のクオリティ、と言うしかないわけですね。