【328年07月】資治通鑑原文4551文字(81/365位)【登場人物】・メインキャスト 1/4-慕容廆-2/26 1/26-王導-3/5 1/27-石勒-2/26 2/3-石虎-3/14・準メインキャスト 1/25-李雄-2/27 1/25-陶侃-2/27 1/26-劉曜▲ 2/10-李寿-3/9 2/11-蘇峻▲ 2/12-張駿-3/12 2/14-慕容皝-3/14 2/14-拓跋什翼犍-4/13【できごと】 後趙軍を引き入れようとした祖約は慰撫に失敗したのか、散々に攻め立てられ、南方に逃亡しました。うーんこの。 同時期、石虎が満を持して前趙に攻め入りますが、しかしここは劉曜に跳ね返されます。それどころか劉曜はそのまま前進、後趙が抑えていた洛陽を包囲しました。この事態を受け、石勒が出征。決戦の地に向かいます。この戦いには以前不敬のかどで収監した徐光が参謀として取り立てられました。この戦いはなんだかんだで博打にも近いものでもあり、劉曜に迎撃に出られたら惨敗もあり得るものでしたが、しかし劉曜の選択は洛陽周辺での待機でした。この様子を見て、石勒は天を指差し、叫ぶのです。「天也!」 そして挑んだ決戦の末、前趙軍は壊滅。劉曜も石勒のもとに捕らえられました。ここに両趙分裂態勢にほぼ終止符が打たれます。石勒は劉曜に、残された者たちへ投降するよう呼びかけさせようとしましたが、劉曜は許否。このため殺害しました。 さて、もう一つの決戦。建康です。あっという間に包囲こそしたものの、蘇峻軍は精強。なかなか攻め落とせません。この状況に業を煮やした陶侃は「もう帰っていいか?」と言い出しました。これは温嶠ら総出の説得でなんとか食い止めます。その後蘇峻が逆転の一手を打つも失敗したため、戦死しました。それにしてもこのとき「王導は蘇峻からも尊敬されていたため殺されていなかった」と書かれています。本当に何なんだこのおっさん。 ただ、王導のことが気に食わない人もいました。陶侃と、司馬光です。蘇峻の乱がひと段落したところで司馬光がコメントを挿入。いわく「王導の放任が結局庾亮をのさばらせたんじゃねーか!」とのことです。まあ司馬光、ちょっと卞壼ぽいのでわからなくもないです。 蘇峻の乱の平定後まもなくして、温嶠が死亡しました。劉琨を支え、王敦の矛先をそらし、蘇峻討伐の原動力ともなったわけで、この人がいなかったら東晋は既に滅んでいたことでしょう。間違いなく東晋創建期の大功臣でした。