【334年04月】資治通鑑原文2054文字(222/365位)【登場人物】・メインキャスト 1/26-王導-3/5 2/3-石虎-3/14・準メインキャスト 1/25-李雄▲ 1/25-陶侃▲ 2/10-李寿-3/9 2/12-張駿-3/12 2/14-慕容皝-3/14 2/14-拓跋什翼犍-4/13【できごと】 次々と大物が死亡します。この年に死亡したのが、陶侃と、李雄。ともにその統治の手腕が謳われていたわけで、そうした人物が死亡すれば次は、というわけです。つくづく思うのですが、この時代の統治は「イレギュラーが多すぎるため属人化されざるを得ない」印象です。 陶侃はずっと引退を願い出ていましたが許されませんでした。これも陶侃の手腕を晋が失えなかったからこそ。ようやく許可を得て故郷に戻ろうとしましたが、その帰途にて死亡。つまり、生きて故郷の土を踏めませんでした。なお陶侃亡き後の荊州統治は庾亮が就きました。建康と荊州が手を組むのは基本的に国難が迫ったときのみ、あとはわりと反目し合います。今後の東晋を追う上で、これを拾っておくと比較的情勢がわかりやすいでしょう。 李雄はまあ、看取られての死亡です。しかし継承者たる李班は、李雄の亡骸を前に泣いているところを李雄の子、李期に殺されました。いきなりクライマックスです。ここで李寿は、すぐさま李期討伐に動かず、見を貫きました。このあたりは石虎の果断ぶりと対称的ですね。 慕容皝も引き続き慕容仁に手を焼かされています。ただ、このタイミングでは快勝を収めました。ここで慕容皝は慕容仁に従っていた者たちを穴埋めにしようと言い出すのですが、配下より「それをやったら他の者たちが従いませんよ」と説かれ、思いとどまりました。ちなみにこれは遥かな未来、396年の参合陂の戦いの伏線にもなっています。 そして、石虎です。強引に帝位につけた石弘を帝位より引きずり下ろし、殺害。自身が天王に就きました。石虎の凶暴ぶりがいよいよあからさまとなってきました。ただこのとき、長安から石虎とともに襄国に移動していた姚弋仲が「恩人の子を殺すとは何事か!」と石虎を糾弾。あの石虎を縮み上がらせています。姚弋仲は羌族の部族長であり、その背景には確かに侮れない武力もあったのでしょう。それにしたって強すぎませんか、このジジイ?